FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

妊娠中絶について、きちんと議論すべき時が来ている。

このような記事を見つけました。

「妊娠中絶後進国」の日本女性に感じる哀れさ | 健康 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員を務めておられる、レジス・アルノー氏の記事です。まずはご一読をお勧めします。

記事のタイトルは、妊娠中絶のみがクローズアップされていますが、単純に中絶の問題だけではなく、避妊の問題も含めて、日本の女性が置かれている立場について、彼我の違いを伝える記事です。日本という国のこの分野のあまりの後進性に、哀れみを感じるほどにまでなっておられるわけですが、日本にいるどのくらいの人たちが、この問題について意識しておられるでしょうか。インターネットが普及し、世界の情報がリアルタイムに伝わる時代になっても、日本人のほとんどは日本語の情報しか得ていないのが現状なので、この国の女性が哀れだと思われてしまうような状況にあることすら、認識していない人が多いのではないか(それが当たり前だと受け入れてしまっているのではないか)と感じます。

この記事を読んで、以前から感じていた、『母体保護法を見直す必要があるのではないか』という気持ちが、また沸々と湧き上がってきました。多くの方が知らない、あるいは意識していないと思うのですが、日本では原則的には『人工妊娠中絶』は違法なのです。

どういうことかというと、人工妊娠中絶について定めている日本の法律は、『刑法』212条から216条に渡って記述されている『堕胎罪』の部分なのです。つまりこの国では、人工妊娠中絶という行為そのものは、違法行為という扱いになっています。実はこのような規定がある国は他にはあまりなく、国連の女子差別撤廃委員会から問題視されています。(後述)

それではなぜ、日本では人工妊娠中絶が当たり前に行われている(年間の人工妊娠中絶件数は約18万件、一方、堕胎罪での検挙数は年間数件)のかというと、人工妊娠中絶を合法的に行うことのできる道として、母体保護法が適用される道筋が用意されているからです。この母体保護法に基づいて、医師会が指定した『母体保護法指定医』がある一定条件下(1. 妊娠の継続または分娩が、身体的及び経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある場合、2. 暴行もしくは脅迫により、抵抗・拒絶できない間に姦淫され妊娠した場合)において、人工妊娠中絶手術を行うことができるとされています。つまり、人工妊娠中絶は、医師の判断に基づいて行われるものであって、妊婦本人には決定権はない(本人同意は必要)というのが、この国の常識となっているわけです。その上、原則的には妊婦本人の同意のみではなく、配偶者の同意が必要とされています(このことも国連女子差別撤廃委員会から問題があると指摘されています)。

国連女子差別撤廃委員会から問題があると指摘されているのはなぜか。それは、日本が、1979年の国連総会で採択され、1981年に発効した、『女子差別撤廃条約』の批准国だから(1980年署名、1985年批准)です。批准国は、この条約の内容について実行していることを示す報告書を提出する義務があり、これに対して委員会から意見・提言がなされます。批准から30年以上が経過している現在、日本に対しては、堕胎罪の存在や母体保護法における配偶者の同意の必要性などが常に問題視され、これらを撤廃するよう勧告が出されている(*下記)にも関わらず、このことが真剣に議論されている様子が見られません。

実は私も一時期、母体保護法指定医に任命されていたことがあります。指定医には必ず地域の医師会が開催する講習会を受講する義務があり、任命前には審査もあるので、そういった機会に何度も出席していますが、いつもありきたりの話しかなく、これを扱っている先生たち(多くは産婦人科医会の役員)にも、遵法意識は強く感じる(そのような話ばかり)ものの、この法のあり方について議論しようという姿勢は感じられませんでした。ではこの母体保護法の問題、これまで全く議論されてこなかったのでしょうか。

今回、冒頭の記事を読んだことをきっかけとして、少し調べてみたところ、以下のような文章を見つけました。

提言女性の権利を配慮した母体保護法改正の問題点 ー多胎減数手術を含むー

日付から見て、2000年5月に出されたもののようです。日本母性保護産婦人科医会(当時:現在は日本産婦人科医会)が、まとめたもののようで、『本提言は母体保護法改定に向けての要望案であり、法律改定に対しての考え方を示したものである。』と記されています。1996年に、長年にわたって放置されていた『優生保護法』が改正され、『母体保護法』に名称が変わったことを機に、議論を継続してより良いものを目指そうとしていた形跡が残されていると感じました。

しかしその後、この『提言』以降に、この議論が続けられてきた印象が全くないのです。この時からすでに18年、世の中の状況は大きく変化してきているのに、中絶をめぐる状況は停滞していて、議論が表に出ない分、より悪い方向に向かっている印象さえあります。

この『提言』に対しては、『からだと性の法律を作る女の会』が問題点を提起しています。この会が現在も存続しているのか否かについては私も存じ上げておりませんが、この時の問題点提起(2000年6月)は、長年にわたって人工妊娠中絶の問題に対峙している『SOSHIREN』のページに残されています。

いずれも今から18年前の議論であり、社会情勢としてはその時と変わっていない部分もあれば、変化した部分もあることと思います。この提言や問題点提起の内容は、私の個人的意見と一致している部分もあれば、少し誤解があるのではないかと感じて同意しかねる部分もあり、そういったことも含めて、もっと表立って、継続的に議論されなければならない問題であると感じます。

 私たちのクリニックは、出生前検査・診断を専門に扱っている関係上、「中絶」という問題と向き合わなければならず、葛藤する妊婦さんとその家族に接することの多い場所です。そうすると、「中絶」というものについての考え方や感じ方には人それぞれの違いがあることがわかります。医学部や看護学部に在籍している学生さんが、実習や見学で当院に来られ、それまで話には聞いたことがあるけれど実際に接したことはない、中絶の選択に直面して悩む夫婦の話を聞いたり、遺伝カウンセラーの対応を勉強したりすることで、それまで「中絶」に対して持っていた印象が大きく変わることもよくあります。しかし、妊婦健診の現場の様子、学会での議論やマスコミの報道など、いろいろな話を耳にしていて、この国ではどうも「中絶」の話題はタブー視されていて、単純に「よくないこと」のような扱われ方がされているように感じています。また、思春期や学校教育を受ける時期に、「中絶は命を粗末にする悪いこと」のような印象づけがなされていることが多い印象があり、日本社会全体として「中絶」について表だって語ることが避けられているようです。この状況を変え、もっとオープンに、国民全体の問題として、しっかりと議論すべき時が来ているのではないかと感じます。

女子差別撤廃条約(CEDAW)に基づく、日本の第7回及び第8回合同定期報告に関する国連女子差別撤廃委員会の最終見解(2016年3月7日)

c. 主要な関心事項及び勧告

39.女性と健康に関する一般勧告第 24 号(1999 年)と「北京宣言及び行動綱領」に沿い、委員会は、締約国が以下を行うよう勧告する。
(a) 刑法及び母体保護法を改正し、妊婦の生命及び/又は健康にとって危険な場合だけでなく、被害者に対する暴行若しくは脅迫又は被害者の抵抗の有無に関わりなく、強姦、近親姦及び胎児の深刻な機能障害の全ての場合において人工妊娠中絶の合法化を確保するとともに、他の全ての場合の人工妊娠中絶を処罰の対象から外すこと
(b) 母体保護法を改正し、人工妊娠中絶を受ける妊婦が配偶者の同意を必要とする要件を除外するとともに、人工妊娠中絶が胎児の深刻な機能障害を理由とする場合は、妊婦から自由意思と情報に基づいた同意を確実に得ること、及び
(c) 女性や女児の自殺防止を目的として明確な目標と指標を定めた包括的な計画を策定すること。