FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

出生前検査に関して、あまり知られていない日本だけの特殊現象がある

NIPT(母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査)の指針の改定に関して、来月には日本産科婦人科学会理事会からの発表があると予想され、またこの件についての議論が沸き起こることを予想していますが、これまでの取り上げられ方を見ていて、どうもあまり気づかれていないことがあると感じています。私たちにとっては毎日の診療で気にしていることなのですが、私たちの感じている問題とこのような日常が存在していることをご存じない方たちの認識との間には、ズレがあると気づきました。このことについて書きたいと思います。

先日、ある方が他院で妊娠中期の母体血清マーカー検査をお受けになり、やや高確率(カットオフ値よりも高い)になったとのことで、羊水検査を希望され、来院されました。この方は40歳近い年齢になっておられたので、なぜNIPTではなく血清マーカー検査をお受けになったのか伺ったところ、実は最初はNIPTを受ける予定だったそうでした。かかりつけの医療機関から、日本医学会認定施設に紹介してもらい、検査のための遺伝カウンセリングを受けに行く段になって、問題が起きたのです。実はこの方の夫は、急遽海外単身赴任することになってしまい、まさに地球の反対側におられ、なかなか簡単には帰ってこられない状況でした。しかし、NIPT実施施設では、事前遺伝カウンセリングは夫婦で受けることが必須とされていて、検査を断念することになったらしいのです。それで困ってかかりつけにその旨伝えたところ、じゃあとりあえず代わりの検査と紹介されたのが、別医療機関で行なっている血清マーカー検査でした。この検査では、年齢の要素が検査結果に加わりますので、40歳に近い方だと高確率になることが多いのです。まあさもありなんという結果だったわけですが、、、、、

この方が検査結果を持参されたので、これを見ると、なんとその検査は『トリプルマーカー検査』でした。それを知った時の当院スタッフの反応を正直に述べると、「そんなのまだやってるところがあったんだ!」という驚きに近いものでした。なぜなら、これは妊娠中期に行われる血清マーカー検査として、これまで主流だった4種類の血清マーカーを用いる検査(クアドラプルマーカー検査:一般によく知られている商品名は「クアトロテスト 」)のひと世代前の検査で、マーカーを3種類しか使っていない検査だからです。マーカーは数が多いほどより精度が増すので、中期血清マーカー検査の場合、(報告によっても微妙に違う数値が出ていますが、)マーカーが4種だとダウン症候群の検出率は(偽陽性率約5%として)7割ほど、3種だと65%前後となります。ちなみにNIPTでは、偽陽性率が0.1%ほどで、検出率は99%を超えるわけですので、大きな違いです。私の記憶では、トリプルマーカーにもう一種類マーカーを加えて改良されたのが、2000年代のはじめの方だったはずなので、少なくとも15年以上は経過しているはずです。

海外では、NIPTができるようになって以来、中期血清マーカーはほとんど行われなくなっています。NIPTができるなら、この検査はほとんど意味をなさないからです。二分脊椎の検出には有用という人もいますが、超音波検査がきちんとできるなら、それで十分です。また、NIPT以前の段階でも、NT計測と妊娠第1三半期血清マーカー検査を組み合わせた「コンバインド検査」を行うようになって以来、この検査の役割はだいぶ縮小しました。当院でも、第1三半期の検査を受け損ねた人が選択する検査という位置付けで行なっていますので、実施する数は少ないです。米国などでは、超音波検査の専門家がいないような地域においては、第1三半期の血清マーカー検査と中期(正確には第2三半期)の血清マーカー検査を組み合わせて行うというやり方もありましたが、中期の血清マーカー検査単独で評価しようとすることは、NIPT以前ですらもうあまりなくなってきていたはずです。

ところが、日本では、このところこの血清マーカー検査の出検数が増加傾向にあります。これは、NIPTが強く規制されていることと関係しています。出生前検査に関する話題は、長い間日本においてはあまり表に出ない話題でした。出るとしても批判的な論調が多かった(今でもそうですが)印象があります。しかし、NIPTが話題になって以来、妊婦さんたちの中では、自分の問題として関心を持つ人が増えたようです。これまで日本では出生前に胎児の問題を見つける検査の存在を医療機関側から積極的に情報提供することがほとんどありませんでした。そうしてはいけないと教育されてきたし、日本産科婦人科学会のガイドラインにも、問われるまで言わなくても良いと記載してあるからです。妊婦さんたちの中には、言われなくてもお医者さんたちは見てくれていると思っていた人も多いと思います(何しろ妊婦健診で毎回超音波をあてますから、何かあれば言ってもらえると思っている人も多い)。しかし、どうもそうではないということが少しずつわかってきて、関心の強い人から順に、検査について質問することが増えてきたようです。医療機関側では、検査について聞かれても特にNIPTについては、「うちではできません」としか言えない。そして、できる施設を紹介しようにも数は限られているし、施設によっては医師自ら連絡して予約を取らなければならないなど煩雑です。地域によってはアクセスの悪いところもあるし、年齢が35 歳に達していないとできないなどの制約もあります。そういうわけで、「うちではNIPTはできないけど、代わりにこういう検査ならある」という話で、妊娠中期血清マーカー検査が提示され、おこなわれる件数が増えているのです。聞くところによると、NIPTが話題になる前と比較して、約5倍(!)に増えているらしいです。

これを本末転倒と言わずしてなんと言おうかという感じです。より曖昧で理解の困難な検査、世界ではすでに過去のものとなっている検査が、日本でだけはブームとまでは行かないまでも増えているとは。そして、より明確で、判断の難しいケースはより少なくなっているはずのNIPTは、「妊婦が検査結果を誤解する恐れ」だとか言って厳しく規制されているのに、より誤解する恐れの多いマーカー検査は、たいした説明も無くどこの産婦人科でも手軽に行うことができるのです。医師自身、あまりよくわからずに検査を出している人が多いと感じます。そうでないと、トリプルマーカーなどやろうとは思わないのではないかと思うのです。妊娠中期血清マーカーの問題は、昨年にも話題に取り上げていましたので、以下の記事も同時に参考にしていただけると良いと思います。

drsushi.hatenablog.com

NIPTは、学会の認可を受けた施設で、夫婦揃って遺伝カウンセリングを受けないと、受けられません。十分な説明の元で行わないと、妊婦や家族が混乱するのでよくないということで、厳しく管理されています。しかし、より曖昧な結果しか得られず、結果の解釈も難しい血清マーカー検査は、丁寧な説明もないままに比較的手軽に提供され、これを受ける人が増えてきている。このような状況になっている国は、他にはありません。

このケースで、日本だけの現象である点は、実は他にもあります。

それは、NIPTを受けるにあたって、夫婦で遺伝カウンセリングを受けることが義務付けられていることです。

なぜそう決められているのでしょうか。実は以前から、胎児の検査を行うにあたっては、夫婦で遺伝カウンセリングを受けていただくことが必要という考えが、日本においては主流の考え方でした。その理由の一つは、胎児の生命というものをどう扱うかということを考える上で、両親揃っての相談や同意が必要だという考えに基づきます。もう一つは、胎児の遺伝学的情報は必ず両親から引き継いだ情報なので、何らかの問題が見つかった場合に、それはどちらかの家系がもつ問題につながる可能性があり、どちらの問題なのかを確認することやその親族に情報を開示する必要性など、よく考慮し相談した上で進めなければならないという難しさがあるからです。それはもちろん一理あるわけですが、では世の中のカップルのみんなが二人の胎児に向き合って考えているのかというと、決してそういうわけではないはずです。夫婦には夫婦の事情があるし、シングルマザーの人もいます。シングルマザーで頑張ろうと決意している人の中には、妊娠していることすら相手の男性に伝えられない人もいます。胎児の両親は、必ずしも幸せなカップルではないのです。

胎児の両親が幸せなカップルであったとしても、二人揃って医療機関を受診することが難しい人もいます。妊娠する年齢の女性は、昔のような専業主婦は少なく、以前よりも仕事を持っていることが多くなっているし、夫もまだまだ責任ある立場ではない人が多く、自由に休みも取れない(日本にはまだまだブラックな職場も多い)状況に追い込まれていたりもします。お医者さんたちが考えている以上に、夫婦で揃って受診するということは高いハードルなのです。

こういったいろいろな状況を考えると、それらを差し置いてでも何としても夫婦揃うことが絶対条件として大事だと言えるでしょうか。私たちはそうは考えていません。それぞれのカップルが、自分たちは二人揃って話を聞くことが大事だという価値観を共有しておられるなら、二人で話を聞いてもらうことが良いと思うし、そう思っていてもいろいろな事情でどうしても難しいなら、まずは一人で話を聞いて、あとで共有してもらえば良いと思います。夫婦の意見は少しずれているけれど、検査の時期に至るまでに同意が得られないという場合には、一人で話を聞くという選択肢だってあり得ると思います。そもそも極論すれば、妊婦さん本人にとっては卵子提供を受けていない限りは子宮の中の胎児は自分の子であることは明らかですが、夫がその胎児の父親であるかどうかについては、確証などないのです。

こういった問題は、他にもいくつかあって、例えば羊水穿刺などで胎児の染色体検査を行った場合に、性別を教えないという対応の医療機関がいまだにたくさんあったりします。このことにお関連した記事を以前に書いています。

drsushi.hatenablog.comこれらの問題点の根幹には、胎児の問題に対応する専門医の受けてきた教育の影響もあるのではないかと考えています。

産婦人科医の教育・研修の場で、また臨床遺伝専門医を要請する教育の場で、『胎児の検査については夫婦揃っての遺伝カウンセリングが必須である』とか、『胎児の染色体検査を行った場合に、疾患の発症に性別が関係する場合などの必要性が高い場合を除いて、原則的には伝えるべきではない』といったような教育がなされているようなのです。(これは私自身もそう教わったことがあるので、よくわかります)

しかし、これらのことは、絶対的なことなのでしょうか。ある権威の先生が一度言い出したことが受け入れられた結果、それが浸透し続けているだけで、絶対的な価値だとは私は思いません。むしろ、このような問題は、社会の変化によって、その時その時の社会のありよう、人々の考え方や生活様式の変遷などに伴って、変化していくものなのではないでしょうか。ある権威の先生がある時決めたことは、その時点では正義だったかもしれないけれど、それが永遠の絶対的な価値として続くものではないはずです。現代に生きる私たちは、現代社会の在りように即して、常に考え続け、必要があればアップデートしていくべきことだと思います。

もちろん、私個人の思想に基づいて、勝手に物事を変えてしまうことも危険なことであると思います。いかに自分を信じていようとも、自分の考えが常に正しいとは言えません。だから、慎重に進めていくべきこととは思っていますし、今あるNIPTに関連した問題への対処も、立場もの違う多くの方々と議論しながら進めています。しかし同時に、凝り固まった考え方はどんどん打破していきたいと考えていますし、特に若手医師の皆さんには常に柔軟な考え方を持っていてほしいと考えているのです。