FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

着床前診断について議論してきた人たちの倫理観に果たして一貫性があるのか?(その1)

先日、すごく残念なことがありまして、書き残さずにはいられないのです。

それは何かというと、着床前診断の指針の問題です。

 着床前診断(preimplantation genetic testing: PGT)には3種類あり、それぞれ、以下の名称で呼ばれています。

・PGT-M (monogenic/single gene defects) 単一遺伝子疾患の原因遺伝子の変異の有無を調べる

・PGT-SR (structural rearrangements) 染色体の構造異常を調べる

・PGT-A (aneuploidy) 染色体の異数性を調べる

いろいろな機関・施設が情報を出していますので、検索するとたくさんヒットすると思います。ここでは、当院とも繋がりのある浅田レディースのサイト内の記事を貼っておきます。

クリニック紹介/着床前診断について-浅田レディースクリニック

 

 この検査は、重篤な疾患を持って生まれてくることや、繰り返す流産を回避するために、受精卵を選別して体外受精を行う技術ですが、出生前検査と同様、倫理的問題を含むものであることより、学会の指針に基づいて厳しい審査を経て、限られた施設で実施されてきました。

 ここで問題となるのは、『重篤な』疾患という部分です。よく言われる、『命の選別』に関わる検査という位置付けですので、ここは厳密に審査しなければならないと考える人が多いのですが、じゃあどういう場合が『重篤』で、どういう場合は『重篤ではない』のか、なんて誰が基準を設定できるでしょうか。

 この重篤かそうでないかの線引きは、一応の基準として、『成人に至る前の段階で死亡する恐れのある疾患』が重篤なものであるとの見解が普及していました。これがどのような経緯で普及したのかについては、私は残念ながら詳しくは知らないのですが、臨床遺伝専門医の研修などで言及されることも多いので、ほとんどのお医者さんはこれが当たり前のことのように教育されてきたことと思います。何かを判断する際に、一定の基準がないと難しいので、権威のある人に基準を示してもらってそれを素直に受け入れる人が多いのでしょうが、私はこの基準やこのような線引きを無批判に受け入れる風潮にずっと違和感を持っていました。この問題について、私たちは網膜芽細胞腫の患者さんたちとの繋がりの中で、学会などでも提言してきましたが、また別に取り上げたいと考えています。

 さて、本題に入ります。

 

 PGT-SRの問題です。染色体構造異常とは何か?そして、その何が問題となるのでしょうか。よくあるものとしては、染色体の均衡型相互転座というものを持っている人がおられます。転座というのは、ある番号の染色体の一部分が、別の番号の染色体の一部分に移動してしまった状態で、ある番号と別の番号の一部分どうしが相互に入れ替わっているものが相互転座です。場所が入れ替わっても、全体として余計な部分や足りない部分がなく、遺伝子が全て揃った状態ならば、表現型(ある個体の形質(形態・構造や機能)として表れた性質)には、染色体が正常に並んでいる個体との違いはありません。

 ちょっとわかりにくい話だと思いますので、わかりやすい一例として、私たちもいつもお世話になっている藤田医科大学の倉橋浩樹教授が、エマヌエル症候群の方たちのために立ち上げたホームページの解説へのリンクを貼っておきます。

<t(11;22)染色体転座について> Q&A

 均衡型相互転座を持つ方は、一般集団の中で約400人に一人おられ、普段はそんなことに気づかずに暮らしておられるわけですが、例えばなんども流産を繰り返したりしているうちに、染色体検査を受けて見つかったりします。つまり、その人自身は何の問題もないにも関わらず、次の世代を生み出す際に、染色体の不均衡型転座が生じることがあり、流産に終わる率が高くなってしまったり、染色体の数や構造の異常に起因する症状を持つお子さんが生まれたりするのです。やや専門家向けですが、以下のリンクを参照。

均衡型相互転座 - 染色体異常を見つけたら

 このようなケースで、流産を繰り返す方は、着床前診断PGT-SR の対象として認められ、2006年より実際に行われてきました(単一遺伝子疾患を対象としたPGT-Mは、1998年から開始されていました)。この実施については、一例一例学会内の着床前診断に関する審査小委員会での審査を経て、その可否を決定するという手順がとられてきました。この一例一例の審査が、基準が厳しい上に手続きも煩雑だったのです。たとえば、染色体の転座に起因する問題を抱えている人でも、2回以上の流産歴がないと認定してもらえないという基準があったりして、晩婚で40歳を過ぎて不妊治療の末やっと妊娠したものの流産に終わり、その流産をきっかけに転座を持つことが判明しても、流産がまだ1回だからダメというような、理不尽な厳しさがありました。

 この判断基準として用いられているのが、以下の『見解』です。以下のリンクは、一昨年6月に改定され、昨年8月に細則などが修正されたものです。

「着床前診断」に関する見解|公益社団法人 日本産科婦人科学会

 

 今回、論じたいのは、この『見解』に列挙されている項目の『5. 診断情報及び遺伝子情報の管理』の部分です。以下に全文を掲載します。

診断する遺伝学的情報は、疾患の発症に関わる遺伝子・染色体に限られる。遺伝情報の網羅的なスクリーニングを目的としない。目的以外の診断情報については原則として解析または開示しない。また、遺伝学的情報は重大な個人情報であり、その管理に関しては「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」、「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」および遺伝医学関連学会によるガイドラインに基づき、厳重な管理が要求される。

 『遺伝情報の網羅的なスクリーニングを目的としない』というのはわかります。遺伝情報の扱いは慎重であるべきです。検査方法次第では、目的とする遺伝子変異や染色体の問題以外の部分についても情報が得られますので、これをどのように扱うかは、いろいろと議論のあるところなのは理解します。しかし、『目的以外の診断情報については原則として解析または開示しない』というのは、現実的に考えて妥当なのでしょうか?

 難しい話なので、事例を示したいと思います。

                             (次回につづく)