FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

着床前診断について議論してきた人たちの倫理観に果たして一貫性があるのか?(その2)

その1を出してから、だいぶ時間が経ってしまいました。

新型コロナのことで頭がいっぱいになり、書きかけの原稿が止まっていたのですが、出しておかなければと思い、なんとか仕上げて出すことにしました。

 

日本産科婦人科学会「着床前診断」に関する見解(2018年6月改定)についてです。

 この見解では、『5. 診断情報及び遺伝子情報の管理』として、『目的以外の診断情報については原則として解析または開示しない』としています。

 具体的にどういうことなのでしょうか。PGT-SRではどうなるのか例示します。

 

 たとえば、妊娠を希望する女性本人が染色体の均衡型相互転座をお持ちで、何度か流産を繰り返しているとします。この方が、次の妊娠に際して、PGT-SRを行なって自身の転座に起因する不均衡型転座が生じていない受精卵を選択して妊娠することを望んでいます。ここで、『目的以外の診断情報については原則として解析または開示しない』に従うなら、道は二つ、一つはこの転座に関係する部分のみについて検査を行う方法、もう一つは染色体全ての情報が得られる検査を行うけれども、この転座以外の部分に関する情報は開示されないという方法です。

 要するに、これまでの流産の原因になっていた転座の部分に起因する問題を回避することが目的なので、その問題が生じていない受精卵を用いるということです。

 このことは、一見理に適っているように思われます。しかし、たとえばこの方が妊娠のために移植する胚がそのほかの部分に染色体異常を持っていた場合はどうなるのでしょう。これまで数回の流産を経験する間に、ある程度高齢になっている妊婦さんであれば、染色体のトリソミーが生じている可能性も上昇します。21番、18番、13番のトリソミーならば生まれて来れる可能性もありますが、そのほかの染色体のトリソミーであれば、流産してしまいます。前に挙げた3種のトリソミーでも流産率は高まります。

 せっかくPGT-SRで転座がないことを確認しても、その胚がたまたま他の染色体の異常を同時に持っていたならば、流産に終わってしまったり、トリソミーを持った胎児として成長したりすることもあり得るわけです。着床前診断を用いた不妊治療には、労力と金銭的コストがかかります。大きい負担をして、時間のない中、残念ながら流産に終わってしまう可能性は、年齢が高ければそれなりにあるし、運よく妊娠が継続しても、その後に胎児に染色体異常がある心配は残ります。

 先日、当院に来られた方もこのような状況でした。

 前回の妊娠で出産されたお子さんが、染色体の構造異常に起因する重い疾患をお持ちで、生まれたお子さんの治療や生活管理は、それは大変な道のりでした。そして、ほんとうに大変な思いをしながらも、一所懸命育てておられたお子さんは、残念ながら長く生きることができませんでした。妊婦さんご本人が染色体に転座をお持ちなので、この出産の他にもなんども流産を経験されていました。次こそは、妊娠を継続して、病気のないお子さんを産みたいという希望を持って、着床前診断に臨まれたわけです。しかし、着床前診断では、ご本人の転座と関連する部分の異常がないことは確認された受精卵を選択できても、そのほかの染色体の問題はわからない状況だったわけです。

 幸いにして今回の妊娠では、初期の流産は免れ、胎児は成長してきました。しかし、後年妊婦であるがゆえの心配は残っていました。そこで、NIPTを受けることにされたのですが、その検査でトリソミー陽性という結果が出たのです。この検査結果をもって当院に相談に来られ、羊水検査を行なった結果、染色体検査で該当のトリソミーが確認されました。この結果を受けて、この方は、今回の妊娠の継続は断念される結果になってしまいました。

 なんども流産を繰り返し、やっと授かったお子さんは重度の疾患があり短命に終わるという経験ののち、今度こそ間違いのない妊娠をと望んで着床前診断まで行ったにも関わらず、結局羊水検査を受けなければならなくなり、結果染色体異常が見つかったわけですが、なぜこのようなことになるのでしょうか。

 純粋に医学的には、着床前診断で今回見つかった染色体の異常を判断することは、容易なことなのです。もし、流産を避けたいという目的に対してそれが叶う検査を考えるなら、あらかじめ染色体異常のない受精卵を選択することはいくらでも可能なのです。

 ところが、これまでの指針では、それは調べてはいけないことになっていたのです。それはなぜかというと、「命の選別」にあたるからだというわけです。「命の選別」は倫理的問題をはらむからだというのですが、その論理は妥当なのでしょうか。

 もし、妊娠する人全てが、着床前診断で異常のない受精卵を選別してから妊娠するのなら、その行為は明らかに「マス・スクリーニング」にあたり、それは明らかに倫理的に問題があるということになるでしょう。しかし、今回のような個々のケースにおいてまで、例えばダウン症候群になる受精卵を選択しないことは、倫理的に問題があると非難されることなのでしょうか。行ってはいけない行為なのでしょうか。

 ここ数年、話題になっている「新型出生前検査」NIPTでは、21番、18番、13番のトリソミーを検出することができ、その結果、トリソミーという診断になった場合には、多くは中絶が選択されているという事実があります。そういう選択が容認されています。そんな中で、着床前診断ではトリソミーは見つけてはいけないという規定を設けることに、論理的整合制があるのでしょうか。

 この問題は、実は、別の側面からなし崩し的に解決する方向に向かいました。

 それは、習慣流産を対象に、次回妊娠では流産を避けるという目的での着床前診断が、現段階では臨床研究としてですが容認されるようになったのです。

 年齢の若い方でも、受精卵の約5割には染色体異常が存在します。年齢が高まるとその頻度は上昇していきます。異常のある受精卵の多くは、妊娠成立に至らないで終わる(化学流産)か、妊娠しても流産に終わることがほとんどです。このため、流産を繰り返したカップルや転座保因者を対象に、不妊治療の成績向上の一環としてのPGT-Aを、臨床研究として開始することになりました。このPGT-Aをどのような方法で行うかによって、どこまでのことがわかるかには少し違いが生じるのですが、今回採用される方法では、染色体の部分的な過不足まで詳細に検出できる方法なので、転座に起因する問題も見つけることが可能です。

 この結果、今回当院に来られた妊婦さんも、この臨床研究に参加することになれば、PGT-SRではなく、PGT-Aをこの方法で行うことになるので、これまでの規定にあった、『目的以外の診断情報については原則として解析または開示しない』の部分が、なし崩し的に無効になることになったわけです。じゃあいったいこれまでの厳しい規定は何だったんだ?という疑問もわきますが、結果的に、良い方向に向いていると思うので、これに反対する気はありません。(小児科医の一部の方は、この方針転換について、不満に感じておられる方もおられるようですが)

 でも結局こういう規定が、検査を扱う医師の側の都合で変わってしまうことは、何かスッキリしない感じがします。これまでの考え方も、「倫理」という立派な殻を被ってカッコつけてはいるものの、中身は批判を避けたいという御都合主義だったに過ぎないと感じられます。状況が変われば簡単にその殻を破るのでは、崇高な倫理観に基づいているとはとても思えません。お偉い先生方も、結局はその程度なのだという底が見えたような気がするのでした。