FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

『命の選別』は絶対悪なのか。 - 着床前診断に関わる遺伝相談の難しさ

ジワジワとではあるものの、地道に真面目に診療を続けてきた結果、一般の方からも医療関係者の方からも、出生前検査・診断に関連する相談を受けることが増加しつつあります。そんな中、最近増えてきているものとして、出生前診断のみならず着床前診断の可能性も含めての相談があります。出生前診断・着床前診断のいずれもが、現時点での規制が厳しいために、思い通りにいかないケースが多くなってきています。これらの技術は、しっかりとした基準を設けて運用しないと様々な問題に繋がることはもちろんなので、きちんとしたルールを作ることは必要だとは思うものの、そのルールを作る前提の考え方や基準が、最新の情報に基づいてフラットに議論されているのか、ある特定の専門家の意見や思い込みに流されていないか、検証が必要なのではないかと思っています。

 

 遺伝が関連する疾患の原因を、夫婦の片方もしくは双方が持っている場合があります。夫婦のどちらも発症はしないが子どもには伝わり、ある一定の確率で子どもに病気が生じる場合や、夫婦の片方はすでに発症していて、子どもの半分には明らかに伝わる場合、その中でも世代を重ねるごとに症状が重くなる場合(つまり子どもではより重症になる)など、様々なケースが存在します。すでに出産し現在育てているお子さんが、病気を発症したことから、上記の状況が判明した夫婦もいます。そういった方々が、妊娠・出産を希望した際に、どのような検査を受けることができるのか、どうすればこれから生まれてくる子どもに病気が発症しないようにできるのか、それを望むことは可能なのか、病気を持たない受精卵を選択することは許されることなのか。夫婦は様々な問題に直面するわけですが、一般的な産科施設で相談にのってもらうことは難しい(相談に対応できる体制がない)だけでなく、遺伝相談を受け入れている施設であっても、出生前の話になると親身になってもらえない状況があるようです。

 先日当院に相談があったケースも、複数の医療機関でちょっと冷たくあしらわれ、途方に暮れて連絡して来られた方でした。

次世代に引き継がれる遺伝性疾患

 カップルの片方が遺伝性の病気を発症しておられました。成人になってからの発症で、症状はそれほど重くはないのですが、これから妊娠・出産を考えるにあたり、子供への遺伝を心配しておられました。実はこの方のご病気は、親から遺伝によって伝わったもので、この親御さんはすでに他界されているのですが、ご高齢になられてから症状が顕在化していたようでした。そして、この方の兄弟姉妹の一人は、同じ病気でより重い症状をお持ちでした。この病気は、世代を重ねるごとに、症状が重くなることが知られているので、もしお子さんが遺伝を引き継ぐと、子どもの頃に発症して生きていくだけでも大変だったり、もっと症状が重いときには胎児期に病気が出て、生きられないほどになったりすることもあります。こういった事実を知ると、親としてはできるだけこの遺伝を引き継いでいない状態で生まれてくることができるようにしたいと願いのは自然なことでしょう。

 しかし、出生前診断や着床前診断の選択には、これを扱う専門家による判断を要します。常に難しい点は、「出生前や着床前に選別を行うということは、『その病気を持つことは不幸なことなので、その病気を持つ人は、生まれて来ない方が良い。』と判断されることだ。」という認識を持つ人がいることです。このような意見は、時に疾患を持つ本人から発せられることもあります。「私は、病気があっても幸せに暮らしているのだから、不幸だと言われたくない。私と同じ病気を持つからといって選別されることは、私が生きていることを否定されるということだ。」という訴えです。このような気持ちは、当事者にしかわからない部分があるので、痛切な願いなのだろうと理解しますが、人にはいろいろな考え方があるので、同じ病気を持つ人なら皆同じように考えるわけではありません。このような意見がある一方で、「私はこの病気のために苦労してきた。次の世代には同じ経験をして欲しくない。」と考える方もおられます。ましてや、自分の状況よりもより悪くなることが予想される場合に、「それでも命は大切なのだから、受け入れていかなければならない。」といくら医療・遺伝の専門家だからとはいえ当事者でもない人から言われて、すんなり受け入れられるでしょうか。

重篤な遺伝性疾患とは何か?

 いろいろと難しい問題がある中で、この国社会のあり方、そしてこの問題を扱う医療従事者の判断基準として、ある程度明確な基準が必要ということもあり、これまで遺伝診療の現場で語られてきたものに、『成人に達する以前に日常生活を強く損なう症状が発症したり生存が危ぶまれる』という基準があります。この基準は、学会の定めた着床前診断を行うことのできる対象疾患として『重篤な遺伝性疾患』という文言があり、その『重篤な』というのはどういう状態を指すのか?という問いに対する答として用意されたものです。私は、この基準が、どのような経緯で専門家集団の中で一般化されたのか、詳細を理解しているわけではありませんが、現在、これが金科玉条の如く扱われていることは間違いありません。着床前診断の可否について審査する会議の場でも、臨床遺伝診療の現場でも、ほとんどの医師がこれを絶対的な基準と理解して、扱っているように思います。

 もちろん、ある一定の基準を設けないことには、再現のない要求に基づく『命の選別』が行われ、優生思想による差別の広がる社会になることが危惧されるということは、理解しています。一方で、常に正しいかどうかはわからない基準が一人歩きして、絶対的なものになってしまうことにも違和感を覚えます。もう少し柔軟に、基準は基準、しかし個々の事情や思想・信条に応じたきめ細かい個別の対応はできないものでしょうか。

 なぜこのような思いを持つかというと、この相談ケースのカップルが、遺伝相談の場で厳しい扱いを受けたからです。

医師の考えに左右される相談者

 このカップルがはじめに訪れたのは、某大学病院でした。前述したように、カップルの片方が症状は軽いながらも発症していて、かつその兄弟姉妹の一人は重い症状があって社会生活に苦労している状況でしたので、子への遺伝を心配されて、着床前診断の相談に行かれたのですが、そこでの対応は冷たいものでした。「なんでそんな診断を行うようなことを考えるのか?」と問われるような、相談者の気持ちに寄り添うような部分のかけらもないような対応だったと伺いました。この話をされる時、相談者はこの時のことを思い出して涙ぐまれるぐらいでした。疾患を持つ当人が相談に行かれているにも関わらず、当人やその家族の状況も顧みず、(もちろん、学会での基準にあてはめてという部分もあるのでしょうが)医師の個人的価値観に強く左右されて、着床前診断を考えること自体とんでもないというように言われてしまうほど、このカップルは悪いことをしようとしているのでしょうか?

 このカップルはその後、別の医療期間でも同じ相談をされました。そこでは大学病院ほどのひどい対応ではなかったものの、願いが叶えられることはありませんでした。まだいろいろな意見もあって、難しい部分があることはわかるのですが、議論の余地はないでしょうか。疾患当事者が、自身の経験に基づいて、疾患遺伝子を次世代に引き継ぎたくないと考えたときに、対応する医師は、成人する前に致死的となる疾患でなければ認められませんと杓子定規に指導しなければならないのでしょうか。

専門家の教育にも課題が

 実はこのような問題は、今回のケースだけではありません。私たちも少し関係している網膜芽細胞腫という先天性の悪性腫瘍の方々が、着床前診断を受けられるようにならないかという活動が、学会を動かしつつあります。その経緯は以下のようにニュースに取り上げられています。

「遺伝性がんにも着床前診断を」 出口ない問いかけ:朝日新聞デジタル

着床前診断拡大、広く議論へ=他学会や患者も参加-産科婦人科学会:時事ドットコム

着床前診断 なぜ今、拡大検討なのか 風向き変えた患者会の意見書 - 毎日新聞

 しかし、実は遺伝性の疾患には様々なものがあり、一つ一つについて患者会も含めて相談して、、、とやっていくことをすべての疾患に関して分け隔てなく行うとしたら、その時間と労力は現実的ではないのではないかとも思われます。また、一口に患者会といっても、そこに参加している人が皆同じ考えを持っているわけではなく、診断に積極的な人もいれば否定的な人もいると考えられますので、簡単ではありません。

 こういった複雑な問題を整理する場が、個々のケースに応じた遺伝カウンセリングの場であって、検査対象の基準の大枠は決めておいて、しかしある程度は現場の判断・裁量に委ねられるようにすべきではないかと私などは思うのです。遺伝専門医や遺伝カウンセラーの教育も、そういうことがしっかりとできる人材を作るように進められていくべきで、現在のように、決められた基準をしっかり守るように教育するのは、専門家の自律性を認めず、専門資格取得者を信頼していない結果なのではないかと思っています。

『命の選別』は絶対悪なのか

 現在の基準は、なるべくやらないようにすることを前提としているようにしか思えません。諸外国の状況とは大きくかけ離れているように感じます。この状況は、着床前診断だけではなく、出生前検査・診断にもあてはまります。無理にわかろうとしないで、わからないでいれば良い。という考えが根底にあるように感じます。以前にも書きましたが、私はこの『わからないでいることが良い』という考え方の良さが、あまりわかりません。そう考える人がいることは尊重しますが、その考えを人に押し付けることは良いことだとは思えません。

出生前検査を普及させない方が良いという声に、癌告知の過去を想う。 - FMC東京 院長室

 わからないでいることを良しとしたい医師の多くは、『命の選別』を避けたいという気持ちが強いのではないかと思います。それが確固たる信条に基づくのか、そうすることが常識・ルールと考えているのか、誰かに忖度しているのかなどはわかりません。いずれにしてもこの『命の選別』が、十分な重みをもって産婦人科医の行動を押さえていると思うし、これを避けよう・避けるべきという考えに基づいていろいろなことが決められていることがかなり多いようで、今回はこの点について書こうと思っていたのですが、書いているうちに違う話になってしまったので、また今度書こうと思います。

 いずれにしても、人には様々な事情・思想・信条があり、そんな中で一律に『命の選別』は絶対悪であるかのように考えてしまうことは、一方向に振れすぎているのではないかという見直しも必要だと気づいてもらいたいと、常々考えているのです。