FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

18トリソミーに関連した議論に感じる違和感(1)

周産期学シンポジウム『周産期医療における「遺伝」を考える』から、1カ月が経ちました。この時に考えたことをもう少し整理しておかなければならないと思っていたのですが、この間、胎児心臓病学会などもあって、少し時間を要してしまいました。

周産期学シンポジウム 第35回 周産期医療における「遺伝」を考える - FMC東京 院長室

このシンポジウムの前半が、「18トリソミーを考える」というテーマだったのですが、これがテーマになった理由としては、長年の経緯が関係していると思われます。

18トリソミーについては、一般に、その5割は1カ月以内に、9割は1年以内に亡くなるとされており、わが国においては長らくの間、積極的な治療は行われないことが通常でした。その根拠として、いわゆる『仁志田の基準』が、新生児医療の現場に浸透していました。これは、1987年に仁志田博司教授率いる東京女子医大新生児科が発表した、新生児の治療方針決定のためのクラス分類で、あらゆる治療をおこなう“クラスA”から、すべての治療を中止する“クラスD”までの4段階に分類されていました。18トリソミーはそのなかの“クラスC”(現在行っている以上の治療は行わず一般的養護(保温、栄養、清拭および愛情)に徹する)のなかに、具体例として病名があげられており、これが全国の新生児医療を行う施設で長年にわたり採用されてきました。ちょうど当時、新生児医療は急速に発展し、それまで助からなかった未熟な赤ちゃんや、病気や障害を持つ赤ちゃんが、治療の結果助かるようになってきたことから、熱心な新生児科医は患児がどのような状況であれ最大限の医療を注ぎ込みがちになっていました。その結果、小児科・新生児科医、はたしてどこまで医療の手を加えるべきなのかという問題に直面することになります。そんな中、こういった“基準”が示されることは、医師たちにとっては大変わかりやすく、方針決定するうえで役に立ったのです。しかしその一方で、治療方針が病名によって一律に決められてしまうという点で、親や家族の思いが二の次になるという問題点がありました。(ご自身の名前がついた“基準”によって染色体異常の赤ちゃんの扱いが規定されてしまったということに対して、仁志田先生は心を痛めておられたようで、現在は出生前検査の積極的導入に警鐘を鳴らす立場で強く発言されるようになっておられます)

疑問を持った一部の医師たちは、患児や家族と向き合って、できる管理を積極的に行おうとしました。そして、いつだったかは忘れてしまったのですが、ある学会(おそらく日本新生児学会(日本周産期・新生児医学会になる前)だったのではなかったかと思います)のシンポジウムか何かで、これも医師による発表だったのかご家族によるものだったのか忘れてしまったのですが、18トリソミーのお子さんの長期生存例の報告があり、その中でお子さんが笑顔を見せている写真が提示されたのです。この発表はその学会に参加していた医師たちに大きなインパクトを与えました。このことについて、別の機会だったとは思いますが、ある責任ある立場におられる先生(仁志田先生だったのかもしれません)が、「まさか18トリソミーのお子さんが笑っている写真を見るとは思わなかった。」と発言されたことを覚えています。

こういった経緯を経て、それまでの病名で一律に決められていた治療方針を見直して、ご家族の思いに沿った医療を提供しようという機運が高まり、2001年にはじまった成育医療委託研究「重症障害新生児医療のガイドライン及びハイリスク新生児の診断システムに関する総合的研究」班(主任研究者:田村正徳)の研究活動の一環として、

重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン

が、2004年に発表されました。

今回のシンポジウムは、これに沿って管理を行った結果についての現状報告が主体となるものだったわけです。各医療機関で様々な取り組みを行った結果、18トリソミーの赤ちゃんの生存率は、これまで言われていたよりもやや良くなる傾向があり、退院して家族と暮らすことができる可能性も高まることが示されました。とはいえ、家族の負担もそれなりに大きいので、在宅管理可能と言っても手放しで喜べるわけではありません。そういったことも含めて、今後の課題も示されました。また、どのような症状があれば比較的予後がよく、どのような場合には治療の有効性が高くないという個々のケースによる違いもわかってきました。

私は、一口に18トリソミーと言っても、実際に現れる症状には違いがあり、重症の場合から軽症の場合までその幅はたいへん広い(たとえば心奇形があるとないとでは、かなりの違いがある)ので、病名だけで一律に方針を決めるべきではなく、それぞれのケースに応じた対応が必要だという考え方をしないといけないと思っていましたので、こういったデータが集まることは、データに基づいた予測も含めて説明が可能になるという点で、たいへん意義がある議論だと感じました。

しかし、日常的に胎児の検査・診断を行っている立場からは、今回の議論にはどうしても拭えない違和感がありました。テーマを絞って明確にするという意味では、そうなっていることは仕方がなかったというか、そうすべきだったのだとは思うものの、今回の議論は、18トリソミーが妊娠の早い段階では診断されることなく生まれてくる、あるいは生まれてくるまで診断がついていないことが前提の議論になっていました。日本には、生まれてくるまで診断のついていない18トリソミーのケースが、これほど多くあるのかとある意味愕然としたのです。 (つづく)