FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

日本人類遺伝学会に参加して(雑感)

日本人類遺伝学会 第62回大会に参加しました。この学会は、私たちのクリニックのスタッフにとっては、国内ではメインの学会と言えるものです。私(院長・中村靖)と田村(医療情報・遺伝カウンセリング室長)の2名が学会の評議員を務めています。まあ、評議員といっても、それほど発言力があるわけではないところが悲しいところですが。

さて、このブログでも良く取り上げているのですが、クリニックにとって最も大きな懸案事項の一つが、国内におけるNIPT実施の動向です。平成25年3月13日に厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課長名で出された周知依頼(日本産科婦人科学会の指針および日本医学会、日本産科婦人科学会、日本人類遺伝学会、日本医師会、日本産婦人科医会の共同声明の遵守を依頼するもの)に基づいて、日本医学会「遺伝子・健康・社会」検討委員会のもと、「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査」施設認定・登録部会が管理して、ここで認定された施設においてのみ「臨床研究」としてNIPTを実施できるというのが今の仕組みです。ややこしいので、実際に普段妊婦の診療を行っている市中のお医者さんたちは、この辺りの仕組みをよくご存知ありません。

現在、ここでの認定施設ではない複数の施設がNIPT検査を実施しており、そのことが時々話題に上りますが、上記の仕組みは法律による規制ではありませんので、違反したからといって法律で裁くような話ではなく、どのように対処されるかというと、結局は学会の指針に背いているということで、その施設の医師が学会会員資格を取り消されるだけという対応になります。医師それぞれに立場はありますが、学会会員資格などどうでも良いと思えば、会員資格を剥奪されても痛くも痒くもありません。ということで、某産婦人科病院の医師は日本産科婦人科学会を退会するに至り、そのままかなり適当な体制で検査を続けています。宣伝力があってかつ手軽なので、多くの方がそこで検査を受けておられるようです。(ここで検査を受けた方を非難する医師がいるようですが、悪いのは検査を受ける人ではなく、適当に検査を扱っている医師と、そのようなことが横行してしまう仕組みを作って、それを維持している今の体制に問題があると私は考えています)(この医師だけではなく、最近、産婦人科医ではない医師のクリニックでも検査が始まったようですが、今回の話題から逸れるので、ここでは触れません)

このような話が出ると、どうしても最初の「指針」を作ったのが日本産科婦人科学会だということもあって、この検査のレギュレーションは、基本的に産科婦人科学会が行なっているものだと考えている方がほとんどなのだろうと思います。施設認定・登録部会も産婦人科の先生が主体のような印象だし、会議もいつも日本産科婦人科学会事務局の会議室で行われています。しかし、少なくともこの検査に関わっている(実際にこの検査を扱っている、あるいはこの検査について専門的な学術集会の場でいつも議論している)産婦人科医、特に産婦人科医でかつ臨床遺伝専門医である人たちの意見は、ほとんど反映されていないのではないかと感じます。会議に産科婦人科学会の代表者が参加しているからといって、この検査を取り巻く状況について実感していたり日常的に問題意識を持って取り組んでいたりしている人の意見が反映されているわけではないのです。

そのことが、学会に参加して議論していると見えてくるので、いつも不毛に感じるのです。

出生前検査・診断、遺伝カウンセリングに日常的に取り組んでいる私の周りの医師たちは、立場や意見にはいろいろな違いは実際あります。元々は日本産科婦人科学会の「指針」のたたき台になった案を作成した人たちにあたる部分もあって、個人的にはそのスタート時点で失敗しているのではないかという思いも私にはあり、複雑な気持ちもあります。しかし、学会会場や懇親会の場などで話をすると、おそらくほとんどの人たちが、「今のままではまずい、なんとかしないと。」「今のやり方は正しい道筋とは言えない。」と感じてはいるようです。そういう人たちの中には、ある程度学会の中枢にいて意見できる人もいるのではないかと思うのですが、どうして何も変わらないのか。どこに意見すれば、もっと建設的な議論になって、日夜苦労している医師たちや妊婦さんたちの意見が反映されるのか。

次にどういう行動を取るべきなのか、まるで先が見えない気がして、少し凹んでいます。