FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

子宮の中なんて、狭くっていいんです。

ゴールデンウィークで、クリニックもお休みをいただいており、私ものんびり過ごしています。そのせいで、ブログの更新もサボり気味になってしまいました。

来週末には日本産科婦人科学会が控えており、私たちにとっても重要な動きがあることが予想されています。来週以降難しい問題について言及する記事を出すことが予想されますので、その前にちょっとたまっていた日常の話題を出しておこうと思います。

昨年10月に以下の記事を掲載しました。

へその緒が絡んだって、いいじゃないか! - FMC東京 院長室

しかし今も毎日のように、受診者の方々からへその緒が絡むことへの懸念を聞かされています。この心配はイメージしやすいのでしょうか?どこかにこの心配を助長するような情報があって、それが普及しているのでしょうか?

そうやって考えながら検査を続けていると、多くの方が気にしておられることが他にもあることがわかってきました。どうも一般的なイメージの中で、超音波画像を見てみると想像と違っていることがいくつかあるようです。今回はそういったことについて、取り上げていきます。

・子宮の中がすごく狭いと感じる?

胎児の超音波検査をしていて、よく言われることの一つに、「なんだか狭くないですか?」というのがあります。もっと広いスペースを想像しておられたのでしょうか。でも冷静に見ていただければ、狭そうに見えていて、胎児はけっこう自由に動き回っていることがわかっていただけると思います。胎児を中心に超音波検査をしていると、周りのスペースがあまりないように見えるかもしれませんが、そんなものなのです。狭くて問題ならそのように指摘します。

胎児は胎児なんです。母親の体の中の一部です。独立して自由にのびのびしているのではないのです。あくまでも母親の子宮の中の一部です。

子宮は柔らかいんです。硬いカプセルではないんです。子宮の壁に頭をぶつけたって痛くもなんともないんです。子宮の壁と胎児との間には羊水があるんです。それで十分です。

もしもっと胎児のいるスペースが広かったら、妊娠後半期には、母親の体にとってはたいへんな負担になります。お腹が大きくなりすぎて苦しいことこの上ないでしょう。

 

・動きまわってはいけませんか?

胎児が元気に動きまわっていると、私たちはそれをほほえましく思います。妊婦さんやご家族も嬉しいだろうと思うので、「すごく動きますねえ。」と言ったりします。そんな時、「こんなに動くものなんですか?」とか、「こんなに動いて大丈夫なんですか?」とか、果ては「ほかの赤ちゃんはこんなに動かないんですか?」などと聞かれることがままあります。こんな時、私たちと妊婦さんやご家族との間の考えに大きな隔たりがあると感じます。

まあね、心配しておられるのはわかるんです。当院を受診される方の多くは、そもそもなんらかの心配があるからこそ来院されることも知っています。医師のほんのわずかな言動の端々に、何か異常を示唆しているものがあるのではないかと、神経をとがらせておられることでしょう。しかし、それがあまりにも極端なのではないかと感じることもあるのです。

胎児が動いて何がいけないのでしょうか?じっとしているものだと想像しておられたのかもしれませんが、筋肉の発達も神経の発達も、動くことが基本なんです。動けないことの方が大きな問題なんです。

胎児が元気に動きまわっているなら、もっと素直に『元気にしているな』と考えていただいて、なんの問題もないのです。そのほうが、精神的にも健全な状態ではないかと思います。

 

・超音波画像はあくまでも超音波画像です。

超音波検査では、一般的な2Dの断層像の観察のほかに、3D/4Dでの観察も行なっています。検査の最後には、3D画像をプリントアウトしてお渡ししていますが、これは基本的には検査内容とはなんの関係もなく、まあ言ってみればサービスのような位置付けです。この3D画像について、どう感じるかにはかなり個人差があるようです。大まかに見て、もう立派に人の形をしていると感じる方もいれば、人の形として普通ではない、デコボコしていておかしい、どこか異常なのではないか、と感じる方もおられるようです。

妊娠初期の胎児はまだ小さい上に、まだまだ未熟な状態です。一見完成しているような形でも、その成熟度はまだまだ外界で暮らしている我々と比べると雲泥の差です。例えば頭蓋骨は大人のように全部きっちり繋がってヘルメットのようにしっかりしているわけではありません。頭蓋骨は何枚かの骨でできていて、それぞれの骨は縫合という接線で接着しているのですが、この縫合の部分は胎児期にはまだ完全には接着・癒合していません。複数の縫合の接点に泉門という隙間がありますが、この部分は大きく開いた穴のようになっています。もちろん頭皮で覆われていますので、脳が露出することはありませんが、超音波では薄い皮膚は写りませんので、妊娠初期の胎児の頭を見ると、この縫合・泉門の部分が黒く抜けた隙間のように見え、頭が丸い形をしていないように感じることがあります。3D/4Dでは比較的わかりやすく表示される上、頭に対して超音波ビームが当たる角度の関係もあって、一見頭がいびつな形をしているように見えることが多々あります。

人がものを見るときの見方、捉え方というか、着眼点には、かなり個人差があるものなのだなあと思います。多少のデコボコは気になさらず、そういう画像なのだと割り切って素直に胎児の動きを楽しんで見ておられる方がいると思えば、見えている画像そのままが本来ある形を明瞭に描写していると捉えて、デコボコしていて変なのではないかと気にされる方もおられます。もちろん超音波検査の原理など知らずにご覧になるわけなので仕方がないとは思うし、原理を理解して見るべきとも思いませんが、もう少しおおらかに所詮画像は画像と考えて捉えていただければ良いのではないかと感じています。

・妊娠初期の胎児はまだまだ人間には程遠い段階です。

超音波検査の進歩によって、子宮の中の胎児の姿が、より明瞭に観察できるようになったこと、3D/4D超音波の表面レンダリング技術によって、普段私たちが目にしているのと同じような形で胎児の外形的イメージを目にすることができるようになったことは、お腹の中に新しい命が宿っていることを実感する助けになり、そのこと自体は素晴らしいことだと思います。と同時に、こういう技術がなかった時代の妊婦やその家族が、胎児に対して持っていた感情と、こういった技術を通して胎児の画像に接することができる時代の妊婦とその家族が持つ感情には、違いが生じてきていると思います。この違いが、「命」というものについてどのような捉え方をするのかにも変化を生じさせているに違いありません。胎児の「命」の問題を考えるときに、過去から現在に至るまでに交わされてきた様々な議論や、巡らされてきた思索の一部は、科学技術の進歩の前では陳腐化してしまうものもあるのだろうと思います。一方で私たちは、過去の議論について単に無知からくる無駄な考えと捨て去るべきでもないと思います。むしろ、現代人が見て感じていることが、必ずしも知ることにつながっていない、逆に考えることを放棄することにつながる恐れも生じさせていると感じることがあります。

多くの方は、見えた胎児の姿がほぼ人間の形をしていると、もうそれだけで一人前の人間のように感じてしまわれるようです。じっと動かないでいると、「寝ている。」と感じ、動き出すと、「起きた!」とおっしゃいます。動いているのを見ながら、「何やってんだろう?」「何を考えているんだろう?」という考えが湧きます。こういった発言は、微笑ましいと感じますが、同時にそれは必ずしも正しくはないと冷静に考えている私がいます。だから、「赤ちゃんはいつ起きているのですか?」「どのくらいの時間起きているのですか?」といった質問(こういう質問はすごく多いです)に対し、つい冷静に、「いやいや、まだまだ寝るも起きるもないのですよ。そういうのはもっと脳が発達してからのことなんです。」と答えてしまいます。でも、それが厳然たる事実なんです。妊娠初期の胎児は、まだ『赤ちゃん』ですらないのです。一つの受精卵から、数え切れないほどの細胞分裂を経て人間らしい形になってはいても、まだまだ未熟な状態で、体の中身の各臓器もごく単純な構造で、十分には働いていないのです。

超音波画像というのは面白いもので、私たちが人間らしい形に見えていると思っていても(そして昔から超音波診断装置を使ってきて、その進歩を目の当たりにしてきた立場から見ると、その画像の向上には目を見張るものがあるわけですが)、全然そうは見えてない方も一定数おられます。私たちがすごく実物に近く写っていると満足している胎児の4D画像を見ていただいても、「なんか微妙、、、」という反応をされたり、苦笑いをされたりすることもあります。時々聞く感想の中で面白いなと思うのは、「キン消しみたい。」というものです。ちょうど今妊娠して受診される方の年代が共有する記憶に当てはまっているのか、この言葉を何度か聞きました。まあ、そんなイメージでいいと思うんです。なんか変に人のように感じて感情移入するよりも、まだキン消しみたいなものなんだと思ってもらっていた方が気楽ではあります。それまでに何度も流産を繰り返したり、長い期間の不妊治療の末にやっとここまできたりという方たちにとっては、感慨深さがあって、そんな軽いものではないというのもわかりますので、そんなことを言うなんて気楽でいいなと思われる方がいらっしゃることでしょうし、超音波画像を通して母性が目覚めるのなら、それは超音波診断装置を扱ってきた者として、大変うれしいことでもあります。しかし私は、人それぞれでいいと思っています。キン消しに見える人はまだキン消しみたいなもんだなあと考えていてくれればいいと思っています。本当はそのぐらいの感覚の方が健全なんじゃないかという気もしないでもありません。まだ何も感覚が芽生えていないような状態なのです。何も考えることなどできません。そこにいることが記憶として残ったり、ましてや親を選んでどこかからやってくるというようなことなど、考えられないのですから。