FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

日本産科婦人科学会に参加して - 親近感と疎外感

先週末、日本産科婦人科学会第70回学術講演会に参加してきました。同時開催された臨時総会には残念ながら参加できませんでした。(なお、私は以前の大学勤務時代には代議員を務めていましたが、いまはヒラ会員です。)今回は、東北大学の八重樫教授が会長を務められ、仙台国際センターで開催されました。とても素晴らしい会場で、東北大学のスタッフ、OBの先生方の力が結集された企画は、素晴らしいものでした。

この学会は、私が若い頃には産科婦人科分野では日本最高峰の学会として、発表することが名誉だと考えられるぐらい権威が高い印象でした。私自身は研修医が終わったすぐの医師3年目の春に、夕方から夜間休日にカルテ庫に通いつめて集めたデータをもとに発表しました。それ以来、何年も連続して発表を出していたことが周囲からも評価されていましたし 、自身の矜恃でもありました。臨床面でも学術面でも業績を上げて、立派な医師になりたいという夢と希望を持つ若い学徒でした。当時はまだインターネットも発達しておらず、海外の学術論文に当たるのも大変でした。学内の図書館に収載されていない専門誌は、他学の図書館に問い合わせて取り寄せるなど手間がかかりました。今現在、海外の様々な情報がリアルタイムで入手できるスピード感と比べると雲泥の差です。そんな時代でしたから、この国内最高峰の学会にはかなりの権威があったわけです。しかし時代は流れました。

今や世界の情報がすぐに伝わってくる時代、学問や技術の進歩の速度も早く、この学会で発表する意義は薄れ、学会誌の価値も低下しました。世界を相手にするにあたって、日本語での議論はただのローカルな話題でしかないからです。発表はどんどん大学研究室のマニアックな自己満足的なものになり、研究のための研究のようなものが増えていった時期がありました。それでも、シンポジウム演題に選ばれる名誉的なものは残っていて、きちんとした体系的な研究成果が出てきたりすると、若手研究者の可能性を感じることができるいい機会になりました。

さて、現在この学術講演会はどういう状況にあるかというと、その多くの時間を研修プログラムに割くようになりました。研修医や若手医師の研修プログラム、ベテラン医師のための再教育プログラムなどが主なものです。もう一つ、専門医取得あるいは資格維持のための講習会が何よりも人を集めるようになりました。一般演題の発表は隅に追いやられた形になり、その質も正直落ちてきていました。抄録集を読んで、こんな内容のものまで採用されるのか、審査はないのか、と愕然とするようなものまでありました。何より参加人数を多くすることが第一のようです。大会場で大きなイベントを行い、海外からもゲストを呼んだりしてお金がかかるので、多くの参加者を集めることが至上命題なのです。基礎系の学会のように、もっと地味に真面目にやっても良いのにとも思います。以前からこの学術講演会は、主催する教授にとって、またその教授を輩出した教室にとって最大の名誉あるイベントを最大限盛り上げようということで、会長招宴や会員懇親会など、かなり派手かつ大掛かりで、他の学術分野の人たちから見たら驚くようなお祭りになっているのです。

そんな中、今最も人を集める企画。それが専門医講習でしょう。あまりに参加者が多いので、同じ内容を何日も連続して、初日は講演、それ以降はビデオ上映の形で、ローテーションしていました。講演ごとに、その参加証を求める全国の産婦人科医が長い列を作って大移動するという光景が見られました。私も御多分に洩れずこれに並びました。実は今話題の専門医制度改革の内容がよくわかってなくて、何しろポイントをとっておくことが必要そうだということでビデオ上映に参加したのですが、もっといい方法はないのかなあと疑問に感じざるを得ない体験でした。

専門医講習の列に並びながら、私が産婦人科専門医である必要性がどの程度あるのだろうかとふと考えました。そもそも私は、9年前に大学を退職して以来、婦人科は全くやっていません。婦人科領域の新しい知識から遠ざかっています。ここ数年はお産も妊婦健診もやってません。そんな私が産婦人科医と言えるのか。クリニックを開業するときにも同じことを考えました。クリニックには標榜科目が必要です。では私のクリニックは何科の診療を行うクリニックなのか?「産婦人科」と標榜したら、生理痛の人などが迷い込んできたりはしないか。しかし、他に標榜のしようがなかったので、「産婦人科」にしてるんですけどね。
もう産婦人科専門医という資格は私には必要ないかもしれません。いやむしろ私は、その資格にふさわしくないかもしれません。出生前検査を行うための施設要件として、産婦人科専門医が常時勤務していることという規定さえなければの話ですが、、、

専門医資格の取得のハードルを上げて、しかしそのハードルの設定方法が適切かどうかについては曖昧で、単に利権を生むだけの仕組みになるのではないかと批判が絶えない新しい仕組みなんですが、このあおりを食って、あまり必要のなさそうな資格について、頑張って維持しなければならない状況にされるのもなんだかなあという感じです。

今回の学術講演会では、私自身の、また当クリニックからの発表は出しませんでしたが、多摩総合医療センターの医師が、当院と共同で検査と管理を進めた珍しい胎児症例についての発表をしてくださいました。私も共同演者に名を連ねています。この発表のセッションでは、学会や診療連携の場でお話しする機会の多い何人かのお医者さんとお話ししました。また、会場の移動の際に、何人もの知り合いの先生たちにお会いし、挨拶を交わしました。自分の専門領域に関連した場面では、親近感を感じることのできる場でした。しかし、非常に残念に感じたことは、先日来ときどき報道されているNIPTの臨床研究を終了する話題が、あまり表に出てきておらず、このことについてどういう状況になっているのかを知ることもできず、意見する機会も得られなかったことです。私たちが専門にしてずっと取り組んできている問題について、私たちが全く関わることのできない形で、おそらくそれほど専門ではない人たちの会議で決められてしまうことに、強い危機感と疎外感を感じました。

知己の先生方、例えばNIPTコンソーシアムに参加している何人もの先生が、私たちのクリニックについて、「先生のところはできるようになるべきだよねえ。」とか、「いまの基準は緩和されるべきだよねえ。」などと言ってくださいます。しかし、現実には何も動きません。立派な立場になっておられる先生は、結局長いものに巻かれてしまうのです。みな自分の地位や名誉が大事なのです。妊婦さんたちのことを第一に考えたり、この国の出生前検査や診断をより良い形にしなければという使命感は、あまり感じられません。

他方、何人かの先生方に、「先生のところは(無認可のまま検査を実施している施設のように)やらないの?」「先生はやると思ってたのに。」などと、焚きつけるようなことを言われました。いやいや皆さん、私をどういう人だと思っているのですか。私はそういう過激に突っ走る人ではありません。地道にしっかりと、足固めをしつつ、出生前検査に取り組んできたつもりです。もちろん、考えるところはいろいろとあります。この件については、そのうち吐き出さなければと思っています。