FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

NIPT:臨床研究の終了の話は進んでいるのでしょうか?

日本産科婦人科学会臨時総会・学術集会が終了して1週間がたち、産婦人科医療の現場も落ち着きを取り戻している気配の今日この頃です。話題に上っていたNIPTの臨床研究の終了については、産婦人科学会では決定事項として日本医学会に投げられ、約1ヶ月で結論が出るとの話が伝わって来ていますが、さてどうなりますことやら。

関係している先生方の話がいろいろと漏れ聞こえて来ますが、どうやら日本産科婦人科学会が出した現時点での結論としては、とりあえず臨床研究は終了するが、施設基準や検査項目、検査対象の条件などについては、緩和せずそのまま据え置きという結論になったようです。NIPTコンソーシアムに参加している医師も含め、産婦人科診療を行っているこの分野の専門家の大方の意見は、検査対象年齢制限の撤廃はもとより、施設条件の緩和が必要と考えているし、検査項目も今後増やして行くことが妥当と考えているのですが、学会の腰は重いようです。強い規制に学術的意義は何もなく、ただ単にモラトリアム期間を設けている(何かに忖度している)だけで、いかにもこの国らしい進め方という印象しかなく、実にもどかしい思いです。

しかしそれよりも問題なのは、マスコミの報道姿勢でしょう。何しろ学会は、私たちがもどかしく思うほど何も変えようとはしていません。ところが、マスコミ各社のこれに関するニュースの取り上げ方といえば、臨床検査が終了したら『倫理的に問題のある検査が無制限に行われるようになる』といったような論調ばかりです。このような情報を拡散して大衆にミスリードさせることが、一体誰にとってメリットがあるというのでしょうか。甚だ疑問です。

そうはいっても、学会としてもこのままの規制をずっと続けようと考えているわけでもなさそうです。余計な騒ぎにならないように徐々に世間の理解を得つつ、前に進めていきたいというお考えはお持ちのようです。しかしまあ科学技術が日進月歩のこの時代、このようなやり方で世界から取り残される危機感はないのでしょうか。学会がそういう姿勢なのにマスコミだけが先走りして騒ぐことは、一般の人には不要な危機感を抱かせ、学会の先生たちの姿勢はより慎重にさせ、その結果として本来進むべき道に進むことを阻害しているとしか思えないのです。

これまで臨床研究を主導してきた先生方(特にNIPTコンソーシアムに所属している大学病院の人たち)は、今の臨床研究が終了しても、NIPTの対象疾患が多種多様になりつつあることも踏まえて、新たな臨床研究を立ち上げて進めていきたいとお考えのようです。大学人としては至極真っ当な姿勢なのかもしれません。しかし、これにも私は疑問を持っています。そもそも現在の臨床研究自体、正確には臨床研究といえる代物ではありません。研究によって何を明らかにしようとしているのかという仮説も明らかではないし、その手法も適切ではありません。研究というとさも立派なことをしているように感じられるかもしれませんが、要するにただ研究という名の下に時間稼ぎと囲い込みをしているだけなのです。そしてこれからのこともそうです。そもそもこの検査に関する研究というと、その正確性、感度・特異度がどれくらいなのか、もし偽陽性率が高いのならその原因はどこにあるのか、といったことを検証し、検査そのものの有効性について証明することが考えられるわけです(ちなみに現在行われている“臨床研究”は、そうではありません)。しかし、NIPTは複数の検査会社が違った手法を用いて行なっており、それぞれの検査会社ごとにその制度管理や成績の開示が必要で、それぞれがデータを集積して解析を行っています。実際に臨床の場でこの検査を扱う立場としては、どの会社のどういった手法が有効であるかのデータに基づいて、どの検査会社を選択するかという形になるわけです。大学の研究室レベルの検査とは違って、その研究開発の主体は検査会社の研究室にあるといえるでしょう。もし、この検査の成績について多施設共同研究をやろうと考えるなら、この研究に参加する施設は、特定の一企業と組んでやらなくてはならなくなり、これに参加する人たちは検査会社の選択の余地がなくなります。実際に、現在臨床研究の枠組み内でNIPTを行なっている施設のほとんどが、NIPTコンソーシアムに参加している(そこには長い物には巻かれろ的考えが関係しています)ことは、我が国におけるこの検査の受注がほぼ独占状態になっているという問題を作り出していることも、あまり一般には知られていない事実です(おそらく他の検査会社があまり声を上げないのは、日本における検査受注数は全世界的に見ればかなり少ないと考えられるので、少ないパイを取り合って面倒なことに力を注ぐよりも、他国で売ることに集中し、日本では臨床研究が終了する時に売り込もうと考えていると思われます)。では、臨床研究では、何を研究するということになるのでしょうか。

現在行われている“臨床研究”は、実は施設ごとに研究テーマに違いがあります。つまり“研究”として、倫理委員会の承認を得た計画に沿って進められれば、その研究テーマ自体は自由なのです。しかし、それほどいろいろな研究テーマがあるわけではありません。現在“臨床研究”を行いつつNIPTを実施している施設は、ごく一部を除いてそのほとんどが『NIPTコンソーシアム http://www.nipt.jp/』に参加しています。つまりほとんどの施設は、このグループの研究計画に参加しているわけです。このグループには日本の産科医療に関係する著名なお医者さんが多数名を連ねておられるわけですが、皆さんおそらくこの臨床研究については、「臨床研究と言ってはいるけど実際は急速に普及してしまわないように制限するための方便ですよね。」とわかっておられることと思います。これまでに『学術研究』と名のつくものに携わったことのある方ならば、NIPTコンソーシアムの研究について紹介されているページ(http://www.nipt.jp/rinsyo_01.html)をご覧になれば、このグループの研究なるものが、実際には研究として不十分なもの(悪くいえば研究の体をなしていない)とお分かりになることと思います。要するに研究などと言いつつ、本当のところは急速に普及させないことが目的なのです。本来ならば、研究などとさも立派なことをやっているような形にする必要はなかったのではないでしょうか。規制が必要ならば、学会なりなんなりが管理する形をつくって、コントロールすれば良いのです。今後もそうする意向のようですし。

ではなぜ、急速な普及を抑えたかったのでしょうか。その根底には、不信感があるのです。過去の経験などから、この種の検査について、多くの現場では検査を扱う側も受ける側も、よく理解していないまま検査が行われ、間違った解釈で混乱が生じるなどの問題が噴出することを危惧しているわけです。遺伝診療業界に携わっている小児科医、産婦人科医は、市中で一般診療をやりつつ妊婦健診を行なっている多くの産婦人科医を信頼していないのです。いい加減な扱いをするに違いないと考えているのです。また、妊婦さんやその家族も信頼していないのです。よくわからないまま間違った選択をするに違いないと思っているのです。当院にも、間違った説明などで混乱して来院される方が結構おられるので、産婦人科医の一部は信頼が置けないという気持ちは、なんとなく理解します。しかしそれならば、しっかりと再教育プログラムを推進すれば良いのではないでしょうか。みんな医療の専門家なのです。一般の方々のことも、ばかにしないでもっと信頼すべきではないでしょうか。もっともっと情報開示して、啓発活動をすれば良いのです。

私は何年もの間、このやり方で本当に良いのか、ずっと疑問を感じつつ我慢を続けてきました。その間、学会の決めた指針に従わず検査を行っている施設が複数出てきたことや、それらの施設ではまともな説明もなく検査が行われているが、待合室は妊婦さんでいっぱいになっていることなど聞いています。なぜ私たちが、そう言った施設の尻拭いをしなければならないのか、忸怩たる思いを持っています。世界中でおこなわれている精度の高い検査だけが強く規制され、逆に精度の低い検査が普及することに繋がり、よけいに混乱を招いていると感じています。

今の状況は、一部の「検査を規制すべき」という考えを持つ権力を持った医師が、その強い信念に基づいて皆を抑え込んでいるという側面もあるようです。私はこの「検査を規制すべき」という考え自体が間違っていると考えています。この点については、次のエントリーで述べたいと思います。