FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

産科のお医者さんたち、自分の価値観を普遍的なものだと勘違いしていませんか

当院に相談に来られる妊婦さんたちは、普段は別の産科医療機関で妊婦健診を受けておられますので、本当に色々なお医者さんがおられるものだなあと思わせるエピソードを伺うことがあります。そんな中で最近気になった話をいくつかします。

 ある40歳を過ぎた妊婦さんが、自分の年齢になるといろいろな問題が増えるのではないかということを心配されて、ネット検索などで情報収集した結果、NIPTの存在を知り、その地域でこの検査を行なっている施設の情報なども含め、かかりつけの医師に検査について相談されたそうです。そうしたところ、急に医師の表情や態度が硬化し、「そんなことを考えているような人は、当院の方針に合わないので、検査のできる施設を紹介することは可能だが、その後は別の施設に転院してもらいたい。」というようなことを言われたそうです。世の中ではすでにたくさんの人が受けている出生前検査を、40歳過ぎの妊婦さんが希望された時に、なぜそういう対応になるのでしょうか?

 また別の妊婦さんは、妊娠がわかって診察を受けるために行った産院で、受付に張り紙がしてあるのを見つけました。その紙には、以下のようなことが書かれていたそうです。

『当院は、どんな命でも分け隔てなく産み育てていくことを基本方針としていますので、出生前検査は行いません。』

まあ、はじめから態度を明確にしている分、質問した途端に態度が硬化して対応が悪くなったり、検診すらしてくれなくなったりする施設よりは、良心的と言えるかもしれません。公共の施設ではなく個人開業の施設なら、院長の方針でやることとやらないことが決まっているのも理解できます。しかし、どうして出生前検査についてそんなに否定的なのか。病気や障害を持った人たちが、分け隔てなく育てられ、生活できるる社会を作ることは、すごく大事なことだと思います。そのためにやらなければならないことはたくさんあると思うし、差別のない社会になるよう、人々の意識を変革させることも必要でしょう。しかし、そういったことには時間や労力がかかり、現状ではまだまだ十分に達成できているとは思えません。そんな中、そのような状況の社会の中に新しく生まれてくる現実に直面して、不安に感じている妊婦さんたちに、大上段から理想を振りかざしても、社会の変革に繋がるとは思えません。ましてや、現実的には胎児の問題を理由に中絶を選択している人もいて、それが容認されていることも皆知っているのです。たまたまその産院に通院しているというだけの理由で、必ず全員が産まなければならないと義務付けられるのは、歪な印象を持ちます。妊婦さんたちに心理的負担をかける前に、他にやるべきことがもっとあるのではないでしょうか。そういった取り組みは何かしておられるのでしょうか。ここに通院している妊婦さんたちは、胎児に問題がないか心配な気持ちがあっても、その話題を出すことすらできないでいて、こっそり当院に相談してこられるのです。地域によっては、産院を選ぶことのできる状況ではないようなところもあります。妊婦さんたちは、自分の気持ちはひとまず抑えて、我慢して通わなければならない状況になっていたりするのです。

こういう態度のお医者さんの話をよく耳にするのですが、常々疑問に感じていることは、ではもし妊婦健診の時にたまたま見た超音波画像で、何か気になる所見があった時には、どのように対処しておられるのか?ということです。

その事実について、教えてもらえるのだろうか?それとも、何も教えてくれないのだろうか?通院中の妊婦さんたちも同様の疑問を持ちつつ通っておられるのではないでしょうか。

もしかしたら、何も見ようとはしておられないのかもしれません。心臓が動いていれば良いと考えておられるのかもしれませんし、ある程度大きさが測れればよいということなのかもしれません。でも、そういうやり方だと、胎児に心疾患があった時など生まれてきた途端に状態が悪化して、大慌てになるケースがあるのではないでしょうか。事前に診断されていれば、新生児科医や小児循環器科、循環器外科医の待機のもと、すぐに対処できる態勢の中で生まれ、命を取り止めるだけでなく、適切な治療を受けられる可能性のある赤ちゃんが、生まれるなり状態が悪化して、大慌てで高次病院に救急搬送され、専門医も慌てて駆けつけたけれども、最初の段階で良い管理ができないと治療も難しいというケースは実際によくあるのです。

我が国では、妊婦健診をどのような間隔で行って、いつの時期にどういう検査をするかということはきちんと決められているのですが、これはあくまでも『妊婦の』健康診査(健診)なのです。胎児について、この時期にこの項目をきちんと見ましょう、そうすればこういう異常はきちんと見つけられます。という方針は、大まかには記されてはいるものの、きちんとガイドラインに記載するには至っていません。このため、超音波診断装置を用いた胎児の観察は、医療機関による違いが大きく、海外ではより早い時期に発見されて当たり前の病気も、見つからないまま生まれてくることが多いのが現状です。妊婦健診でそれなりに観察している時期ですらそういう状況です。ましてや、妊娠初期の検査については、例えばNIPTがある限られた施設以外には検査を扱うことも許されない状態が続いていることから見てもわかるように、早い段階から胎児の異常について確認しようという姿勢は推奨されていません。(その反面、生半可な知識で重大な指摘をしてしまうという問題も生じています)

そんな中で、教育の賜物なのか世論に押されたのか、はたまた国の行政機関からのお達しによるのか定かではありませんが、なぜか『出生前の検査・診断は倫理的に問題があるからそういうことを考えるだけでもけしからん』というような思想を持ってしまっている医師が少なからず存在するようです。一歩譲って、例えば宗教的信念から中絶は扱わないということならばまだ理解できるのですが、検査を受ける時点で中絶につながるから良くないというのは、ちょっと極端で視野の狭い考えではないかと思います。

そして、私から見ればごく自然に、素朴な感情で心配している妊婦さんに対して、まるで自分が正しいことを教育しなければならないという使命感に燃えているかのような姿勢で、高圧的な態度で叱ったり、診療そのものを拒否したりするようなやり方は、単に自分の価値観を押し付けているだけだと気づくべきです。

このような態度を取る医者は、少し年齢の高い古いタイプの医者で、医者だというだけで偉い人と扱われてその気になっているような人たちだから、そのうち減っていくだろうと思っていたのですが、どうもそういうわけでもなく、確実に再生産されているようで、それほど歳を喰っていない医者でも高圧的な人は多いようです。

このブログで時々話題にしている妊婦健診での診断・治療方針の曖昧さについても、共通の問題が背景にあるのではないかと考えています。院内でよく話題に出るのが、癌の診療方針の変遷です。癌の診断・治療や癌患者の扱いは、時代の変化や新たな検査・診断法の開発とともに形を変え、整理され、ガイドラインも明確化され、情報提供も適切に行われるようになっていますし、癌患者も与えられた情報をもとにより良い選択をすることができる道筋が作られてきています。これに比べて妊婦の診療の現場は、大きく違っています。医師の考え方の違いによって方針には差が生じ、あまりエビデンスに基づいているとは思えない指導が入ります。なぜそのような違いが生じるのか、そこには複数の要因があると考えていますが、その中の一部として、患者層の違いと継続性の違いがあります。

癌患者さんの多くは、ある程度の年齢を重ねた方で、社会的に地位のある人であったり、いろいろな経験を積んできておられたりします。そして、癌は昔よりも制御可能になっているので、診療期間も長く、多くの場合一生続きます。このため、医師も患者さんに対して敬意を持って接することが多くなります。対して妊婦の場合はどうでしょうか。妊娠は一時的なことです。いろいろとトラブルがあってもそう長くない期間で妊娠は終了します。医師ー患者関係を築く時間も短く、医師が一人の患者さんをずっと見続けることはあまりないし、妊婦さんも妊娠が終わればまた次の問題に向かわなければなりませんので、妊娠中のことは過去に置き去ることが多いです。また、多くの場合妊婦さんは医師よりも年齢の若い女性で、医師から見て人生経験も浅いと感じがちだし、知識も不十分と思われがちです。

この違いは大きくて、産科医は妊婦さんに対して指導的立場のような振る舞いをすることが多いように感じます。またそういう権威然と振舞うことは気分の良いものかもしれません。毎日多くの人を相手にそのような振る舞いを続けていると、本当に自分が偉い人のような錯覚に陥ってしまうのも不思議ではありません。

産科医はこのことに気づく必要があります。独善的な世界に入り込まないで、世の中にはいろいろな価値観があることを知り、自分とは違う考え方をする人の存在や立場に想像力を働かせ、他人を尊重する姿勢を保つことを、常に意識し続ける必要があるのです。