FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

「中絶は早い方が良い」は本当か?

妊婦健診で、胎児に何らかの問題があると指摘されて当院に相談してこられる方の中で、以下のようなケースが散見されます。

・胎児が小さい方が安全に中絶できるので、早くした方が良いと言われた。

・中期中絶は危険なので、中絶するなら12週よりも前に何とかしたい。

印象として、お医者さんが中絶に対して必要以上に危険なイメージで話されていることが多く、きちんと心の準備をする前に急いで行われることになっているように感じます。何しろ早い方が良いと言われているケースは本当に多くて、その誤解(妊婦さんたちだけでなく、医師自身も誤解している??)を解かなければならないと、強く思います。医師の場合は、誤解というより思い込みなのかもしれませんね。

このことが、胎児の診断が曖昧なままに慌てて処置が行われ、結局なんだったのかよくわからないままになっていることにつながっています。この結果、次の妊娠でまた不安が拭えない、悪い場合には前回と同じ問題がまた見つかったけれども情報不足のために診断にたどり着きにくい(適切な検査選択につながらない)という問題が起こります。

急いで中絶している中には、実際には胎児には特に異常がなかったケースもかなり含まれている可能性がるのではないかと想像します。なぜなら、連日のように“首の後ろのむくみ”を指摘されたという相談が来るからです。それらの中には、不適切な時期に不適切な計測で指摘されているものが多く、その不正確な検査の情報を元に、これまた不適切な説明がなされていたりすると、それだけで胎児の将来についてかなり悲観的になって、中絶につながっているケースが相当数あるだろうと感じられます。

また先日は、某認定外施設で受けたNIPTの結果、あるトリソミーが「陽性」だったことから、中絶寸前になっていた方もおられました。当院での遺伝カウンセリングの後、胎児染色体検査を行ったところ、トリソミーはありませんでした。

そもそも中絶は早い方が良いというのは本当なのでしょうか?

早い方が良いという人の論理は、小さい方が母体への負担が少なくて済むということのようです。しかし、明確な診断が出るまでの数週間でそう変わるものでしょうか?

私は、30年以上産婦人科医をやってきました。今はもう分娩は扱っていませんが、数年前まではお産をやっていましたので、数多くのお産に立ち会ってきましたし、大学病院や周産期センターに勤務する母体保護法指定医でしたので、母体合併症や胎児死亡・胎児異常などがある方の妊娠中絶も含む流産処置も、かなりの数自ら行ってきました。私の経験からは、お産に比べれば、中期中絶は安全性が高いものです。なぜなら、妊娠満期の胎児に比べると、妊娠中期の胎児は圧倒的に小さいからです。

もちろん、自然なお産と違って、子宮はまだ妊娠継続モードにありますから、これを人工的に分娩モードに変えなければなりません。ここを丁寧にやらないと、安全性は損なわれます。具体的には子宮頸部を軟化・開大させ、抵抗なく胎児が娩出される道筋を作ることです。しかしこれにしても、妊娠満期の陣痛誘発と比較すると、問題は少ないのです。妊娠満期のお産では、うまく進行しないと分娩に至らず、緊急帝王切開になることがあります。その理由には胎児側の問題もあれば母体側の問題もあります。しかし、中期中絶がうまくいかなくて帝王切開になることは普通ありません。

私には、なぜ「早い方が良い」という医師がいるのか、よくわかりません。何かの思い込みとしか考えられません。

診断が曖昧なまま中絶を急ぐよりも、まずはきちんと診断して、本当に中絶しか選択がないのかどうか、一度立ち止まって考えた方が良いと思います。そして何よりも、このような重大な決断は、きちんとした診断、情報を元に、行ってほしいのです。

中には、「あまり大きくなってからだと、胎動を感じられたりして辛い。」という方もおられます。胎児が生きているという感覚が体感として得られると、中絶という選択が、命を奪うことになるということの実感がよりはっきりしたものになるだろうということは、よく理解できます。しかし、妊娠中絶を行う時期ではまだそれほど胎動を感じることはありませんし、より早い時期であってもすでに人の形になっていることや心臓が動いていることは超音波検査でも見えているんだし、実感にそれほどの差があるものでしょうか。時期を急ぐばかりに、釈然としないまま何かドタバタとことが進んでしまった結果、後々罪悪感を残してしまうケースもよくあるのです。そういった中絶後の心理について、考慮してくれている医療スタッフは多くはありません。きちんとした診断の元によく納得して自身で決定し、良い形で産んであげて、しっかりお別れできることが、その後の心理的な健康にもつながったというケースを、私たちはいくつも見てきています。

12週よりも前ならば、初期の流産手術の方法で短期間で可能ということを重視する方もおられます。仕事もそれほど休めないし、できれば入院もしたくない。という気持ちはよくわかります。しかしここを急ぐことが、本当に自分の将来のために良いことにつながるでしょうか?もちろん、メリットはあります。妊娠12週以降になると、死産届が必要になりますし、産休を取らなければならなくなるなどの問題が生じますので、中期中絶は厄介です。でも、12週よりも前に中絶を決断するに至る診断がつくことはまずありません。あるとすれば無頭蓋症(無脳症)などごく限られたケースでしょう。また、初期の流産手術は、子宮内を機械的に処置することがありますので、子宮にとっては損傷のリスクを伴う場合もあるのです。

中には妊娠14週まで妊娠初期と同様の処置で行うという施設もあります。フランスなどの国でもそういう方法が実際に取られているようです。しかし、子宮が大きくなるほど、機械的な損傷の危険は多くなるので、吸引などのより安全な方法であれば良いのですが、注意が必要と思います。また処置は初期の方法でも、12週を過ぎたケースでは、死産届けや産後休業の必要性は生じます。そしてこの方法では、胎児がどのぐらいきれいな形で出てくるかについても疑問が残り、きちんとお別れできるのかという心情的な問題も危惧されます。私は、12週を過ぎたケースでは、中期中絶の方法で行うことをお勧めしたいと考えています。そうすると、例えばNIPTを10週で行なって、陽性結果を踏まえて絨毛検査を行い、迅速染色体検査でトリソミーと判断してもギリギリ、ましてやNTの厚みの評価は11週から(胎児頭臀長45mm以降が適切ですので、日本人胎児の場合、11週4日あたりになる)ですので、これをもとに中絶に至るには通常中期中絶になるものと考えた方が良いと思います。

日本では、妊娠12週よりも前の時期に人工妊娠中絶を行う施設はたくさんありますが、妊娠中期の中絶を扱う施設はそれほど多くはありません。これにはいろいろな理由があると思いますが、産婦人科のお医者さんたち自身が、あまりやりたがらないということも関係しています。母体保護法14条に明記されている人工妊娠中絶を行うことのできる要件の中に、胎児の異常は明記されていないからです。この点に法律の条文の解釈の曖昧さが残されている現状が、いろいろな点で出生前検査・診断に影を落としていると感じます。今後、NIPTを含む出生前検査・診断がより普及していくことが予想される中で、検査後の診断がより確実になった際に、以前よりも妊娠中期の中絶を選択する人が増加する可能性があります。これに対して、手技の安全性もさることながら、中絶する妊婦さんの心理的ケアやフォローを行なってくれる医療機関がどの程度あるのかも心配です。

私たちはこれまで曖昧なままにしていた母体保護法について、今一度きちんと議論してより良い形を考える必要があると思いますし、産後休業についても、12週に達している妊娠ならば全て満期のお産と一律同じ扱いということについても、再検討が必要ではないかと考えています。