FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

NIPTの議論のなかに透けて見える本音。解説しましょう。(1) まずは歴史的流れから

今回の日産婦の発表を受けて、新指針や各学会の声明など、もう一度読み直してみたりしているのですが、こういった医学・医療の世界の人たちがどのように考えているのか、一般の方々には今ひとつわかりにくいのではないかと思います。みんな尤もらしい内容を格好良く書いていますが、会議での発言などは案外独善的な意見を言っていたりします。私は長年この世界にいますので、なんとなくわかります。

そこで、ここではこれらの発表の中に隠されている本音を、(あくまでも想像ですが)読み解いて、なぜ問題がややこしくなっているのかについて(あくまでも私の主観に基づいて)(しかし単なる想像ではなく、漏れ伝わる情報も加味して)解説を試みたいと思います。

このブログでは、これまで比較的冷静かつ客観的に記事を書くように努めてきましたが、この記事はやや毛色の違うものになります。このため、以下の内容については、「ひどい決めつけだ!」とか、「ステレオタイプなイメージで勝手なことを書くな!」といった感じで怒る人もいるかもしれません。しかし、これはあくまでも医療の世界をあまりよく知らない一般の方たちの理解を助けるための例示としてみていただけるとありがたく思います。

まずは、基本的知識として、どういう人物が関わっているのかの参考例を記載します。

・産婦人科の偉い先生

年齢的に60前後の男性が多い。専門分野はいろいろなので、例えば悪性腫瘍を専門にしていたり不妊を専門にしていたりすると、妊娠・出産は仕事としてやっていても、胎児の問題や出生前検査の現場で妊婦さんたちと対峙する機会はあまりなかったりする。まだそれほど出生前検査・診断が盛んでなかった頃に若手医師としての研修を受け、一番脂の乗っている時期に厚生科学審議界の「見解」を受けて、出生前検査については積極的に知らせるべきではないとされたまま、その後の海外における進歩とは離れた日本の診療を支えてきた。ちょうど高年妊娠になろうとする人たちの親の世代。

・産婦人科の普通の先生

長年地域医療を支えてきた年配の先生たちは、忙しい日常の中、専門的な学会に参加する機会も限られ、なかなか新しい情報を得られないでいる。産婦人科の分野は広く、様々な新しい知識を得なければならない中、出生前検査・診断のような特殊な分野は、専門家に任せておけば良いと考えているが、日常診療の場で妊婦からの要望や質問には答える必要がある。こんな時、ある人は聞きかじった知識で無難に(適当に?)対処するが、ある人は20年前からの流れで日本ではそういったものは良くない考えとされているといったような態度で応じる。あまり詳しいことはわからなくても、自分たちが日本の妊娠出産の現場を支えてきたというプライドはある。中絶は必要悪と考えているが、収益のためには請け負う、またはポリシーによりいっさい手を出さない。若手の先生でも、上記のような先輩の指導を受けて育った人たちは、出生前検査そのものや中絶に対して、否定的な考えを持っている。不妊治療専門のクリニックに対しては、自費診療で稼げていいなという気持ちがある。

・人類遺伝学会の偉い先生(の中でも、小児科をバックグラウンドとしている一部の人たち)や、小児科学会の偉い先生

長年のキャリアの中で、先天性の病気を抱えた子供や、遺伝性難病の家族の診療に携わり、そうした問題を抱えている人たちの力になり、これまでもこれからも自分たちが支えていくのだという自負を強く持っている。いろいろな家族の苦労や社会の問題と対峙する中で、遺伝的な問題を扱うことの困難さ、デリケートさを常に感じている。患者や家族が数々の問題を抱えながらも、一所懸命生きている姿を日常的に見ているため、そういった事実に向き合わないまま、このような問題を抱えた子供たちが生まれてこないようにしようという姿勢そのものが受け入れがたい考えに思える。そのような優生思想は危険かつ許しがたいと考えている。しかし、日本社会はまだまだマイノリティに対する受け入れが悪いので、放っておくとどんどん障害者は排除される流れになってしまうと考えていて、自分たちが頑張ってその流れを阻止しなければならないという意識が強い。

・小児科の普通の先生

難病や遺伝病を専門にしているわけではない先生は、病気を持つ子供たちへの温かい気持ちはもちろん持っているが、そういうお子さんたちが生きていくことの難しさについての見方も、現実的な考え方で接している。どんな命でも何しろ尊重するべきというほど極端ではないというと誤解を招くかもしれないが、そういう柔軟さがある。

この部分について少し解説しますと、たとえば、ダウン症候群のお子さんを育てている親御さんの中にもいろいろな違いがあることを考えるとわかりやすいかもしれません。その子は可愛く愛おしく、大事な命だけれども、次に生まれてくる子が同じ病気を持っているとしたらどうか、というと、ある人は大事な命なのだし何人でも育てられると思うかもしれないけれども、別の人は現実的に次の子は障害のない子であってほしい、同じ病気を持っていることがわかったら、頑張って産むか中絶を選択するかまたすごく悩むだろうということになるのです。そしてそのような悩みを持つことは、決していま育てている子を否定しているわけではないのですが、そのように捉えられて批判される可能性もあるのです。

それでは、これまでの流れを考えていきましょう。

NIPTを臨床研究として実施するにあたって、複数の学会が関わるようになったのは何故なのでしょうか。

産婦人科医の中で、出生前検査・診断を専門分野としてきた人たち(これは産婦人科医全体の中でごく一部の人たちです)は、20年前の厚生科学審議会の見解以来、日本におけるこの分野の診療が世界から取り残されていることに危機感を感じていました。そんな中、NIPTの技術の臨床応用が現実化するニュースは、周回遅れを取り戻すチャンスとして、なんとかこれにはついていかなければこの国のこの分野は完全に世界から取り残されることになると考えたのです。しかしながら、長年産婦人科医を抑えていた「厚生科学審議会の見解」は、そのまま影響力を維持していて、ただ単純に新しい検査を導入することはできない状況にありました。そこで出生前検査に関わるいろいろなグループからの批判的意見などにきちんとした対応が可能になるように、しっかりとした形で物事を進めていけるようにしようと考えられ結成されたのが、「NIPTコンソーシアム」でした。ここでは、どのような立場から見ても理解してもらえるような形で、専門家が検査を扱えるようにしようという考えのもと、厳しい条件をつけた検査の実施が検討されました。そして、まずは臨床研究として検査を開始することが決定されたのです。

ところが、コンソーシアムの代表者が報道陣には自制していただけるようにお願いしていたのも関わらず、検査開始前夜に、読売新聞が先走ってセンセーショナルな報道を行ってしまったのです。その内容も必ずしも正確な表現ではなかったので、必要以上にセンセーショナルになってしまいました。

この報道の影響は大きく、これを受けて、学会が検査を管理しなければならないという流れになってしまいました。

(つづく)