昨日(2020年4月7日)、安倍総理大臣が東京都を含む7都道府県を対象に、『緊急事態宣言』を発令しました。これに伴い、東京都では、緊急事態措置を実施します。
私たち医療機関は、ライフラインに関わる業務なので、基本的には業務をストップすることなく続けるのが原則と考えるわけですが、感染症を扱う医療機関はもちろんのこと、これまでもこれからも急性・慢性の体の不調が生じる方は一定数おられるわけですし、そういう場合の診療の重要性も放置できません。医療に関わる人材の働きはより重要になることでしょう。特に、感染症を扱う施設で日夜対応に追われるスタッフの方々には、本当に頭が下がる思いです。
そんな中、私たちのような特殊な施設は、どのように対応すべきか、悩ましいところです。なぜなら、考えようによっては、われわれの行っている検査や相談業務は、非常時における重要性が高い分野ではないと判断される可能性もあり得るのではないかと思うからです。しかし、それぞれの医療者には専門分野があり、役割があるはずです。今現在の時点で、どのような役割を果たすべきなのか、それが本当に期待に応えることになるのか、考えてみました。
私たちのクリニックは小規模な施設ではありますが、何しろありがたいことに、大学病院でも対応できない種類の検査がある、当院での遺伝カウンセリングおよび検査を受けていただいた方が迅速かつ確実である、などの理由で、これまでも複数の大学病院を含む医療機関から診療依頼をいただくことがあったのですが、ここへきて、コロナへの対応などでより負担が大きくなっていることもあって、またこれまでとは別の大学病院や総合病院からの診療依頼が舞い込んでくるようになりました。はたから見るとすごく特殊なこと(一般的でない独自のこと)をやっているように見えなくもない当院ですが、そうではなく、海外では標準とされている指針に則って、エビデンスに基づいた診療を行っていると評価され、このような権威のある施設からご信頼いただき、ご紹介いただけるということは、大変ありがたく、また誇りに感じます。(とはいえ、特殊な相談が必要なケースはそう多いわけではありませんので、実際の予約枠には空きが多くなっています)
当院に来院される妊婦さんたちは、全て普段は別のかかりつけ医のところで妊婦健診に通っておられる方々です。言ってみれば、わざわざ当院で検査を受けなくても、かかりつけに通院していれば、妊娠管理は普通に続けられるわけで、現在のような非常時にはキャンセルが発生することは、仕方がないことなのかと思います。特に、これまで何も問題を指摘されていない方であれば、尚更でしょう。
ただ、これまで診療を続けてきた経験から、心配になる点は多々あります。わが国の妊婦健診の現場では、胎児の検査は二の次の扱いで、妊娠中の胎児に対する検査(超音波を用いた観察を含む)の方針についてはかなり曖昧な指針しかなく、きちんと統一されたものとはとても言えない現状だと感じるからです。だからこそ、私たちの施設の存在意義があると考えているのです。
たとえば胎児超音波検査一つとっても、妊娠のどの時期に、どのような指針に基づいて、どの程度よく観察するべきなのか。海外の先進国では、通常妊娠20週前後に一度くまなくチェックする機会が設けられていますが、日本の妊婦健診にはそれはありません。一応、学会が出している観察項目の指針はありますが、これを作るにあたっては、「全国で実際に妊婦健診を担っている医師には、胎児超音波検査に精通している医師もいれば、これまであまりその知識を強化したり技術を向上するトレーニングの機会を持ったりしてこなかった医師もいるので、どのレベルの医師でもある程度統一して実施可能な範囲で指針を決める」という基本的考えのもと、まとめられたという経緯があります。また、その実施についても、必ずしもそのための機会を設ける必要はなく、普段の妊婦健診の時に、ちょうどこの週にあたる時期には、他の週数の時よりもよく観察するというやり方で良いと指導されてきており、かなり曖昧な運用になっています。このため、諸外国ではかなり以前からしっかりとした体制で行われてきた妊娠中木の胎児超音波検査が、日本では、医療機関によっては必ずしもきちんと行われいているとは言えない状況にあり、なぜこの疾患が見つからないまま分娩に至ってしまったのかと思うような、生まれてからの対応に苦慮する(治療が手遅れになったり、両親の心理的負担が大きくなったりする)ケースが今もかなりあるのです。
そのような状況が続いている上に、妊娠初期の検査に至っては、日本ではほとんど普及してきませんでした。このこともあって、独自に勉強している一部の医師を除いては、(国内で指導してくれる研修施設もごく限られてしまうので)ほとんど行うことのできる場所がない(これは、医師の知識や技術の問題もさることながら、そのための時間を確保することの難しさもあります)という状況です。このため、妊娠初期の段階での胎児の観察をきちんと行ってくれる施設は本当に少ない現状なのです。
私が危惧していることは、このような状況下ですので、妊婦さんがネガティブな思考に陥りがちになることです。また、妊婦さん自身がそうでなくても、周囲の人たちが妊娠についてあまりポジティブな気持ちを持ってもらえない傾向になるでしょう。
これまでにも、何かちょっとした人との違いを指摘されただけで、妊娠継続・出産について大きな不安を持ち、継続に積極的になれない方々にお会いしてきました。お気持ちはすごくわかるし、いろいろな病気についての知識もあるし、自分が育てていくわけでもない私たちと同じ目線にはならないだろうなということもわかりますので、私たちには、可能な限り偏りのない正確な情報を提供することしかできません。そんな中で、この病気ならきちんと治療もできるし全く問題なく育つと確信できるような場合であっても、何か病気が見つかったというだけで悲観的になり、中絶を選択されるケースにも遭遇してきました。私自身は、中絶否定論者ではありません(そのことはこれまでこのブログで中絶について論じてきた記事を見ていただければわかると思います)し、むしろニュージーランドのようにこれを妊娠女性が自分で選択できる権利として認める考えに同意する立場でもあります。それでも、医師という立場からは、やはりきちんと治療できるものは可能な限り良い治療に結び付けたいし、命は救いたいという気持ちも強いのです。だから、上記のような自分の見解とずれた選択に直面すると、がっかりしたり辛い思いをします。多くの産婦人科医がそういう経験をしているものと思います。その結果、命の大切さを強く説いたり、出生前検査に消極的態度をとったりするようになってしまう医師もたくさん見てきました。私は、人それぞれの価値観の違いを尊重する立場を貫くべきだと考えていますので、辛い思いをしながらも受け入れるという姿勢でここまでやってきました。
しかし、不正確な情報に基づいて、不本意な選択につながってしまうことは不幸なことです。例えばNT。以前から再三情報発信してきましたが、いまだに不正確な計測・評価で、「異常の可能性がある。」というような抽象的な表現で伝えられた結果、すごく心配されて相談してこられる方が後を絶ちません。これまでは、そのような場合でも、なんとか希望を持って調べて、当院で検査を受けられ、当院でのアドバイスに基づいて判断するという行動が可能でした。しかし、現在のような状況になって、例えば東京都心の当院まで来ること自体躊躇されるような場合、もうその曖昧な判断だけで中絶を選択することになってしまう方が増えてしまいはしないか。また、本人はなんとか希望を持ちたくても、周囲の人たちに諦めるよう言われて、不本意ながら(そして結局どういう問題が存在していたのかわからないままに)中絶に終わってしまうことが増えないか、とても心配なのです。
4月3日には、日本生殖医学会より理事長名で、「不妊治療は、可能な限り延期を考慮すること」という声明が出され、妊娠することにも積極的になれない社会情勢となり、今現在妊娠している人たちも、不安が大きくなってきることと思います。しかし、だからこそ、今育っている新しい命は、しっかりと守ってあげたいと思うのです。そして、そのために私たちの行っている診療が少しでも役に立てるのなら、それは嬉しいことですし、やっぱりこの感染症が広まっていて医療崩壊も懸念されているし、自分たちが生きていくだけで精一杯の状況で、ハンディキャップを抱えて生まれてくることはできれば避けたいという気持ちが強いなら、その気持ちも尊重してあげたいと思います。
『緊急事態宣言』を受けて、新たな予約の数も減少傾向にある上に、予約をキャンセルされる方も出てきており、現在予約枠には余裕があります。どうしても胎児の心配について話を聞いてもらいたい、超音波で見てもらいたい、という気持ちをお持ちの方には可能な限り対応できるよう、受け入れ態勢を整えておく所存です。ただし、スタッフの安全も守りたいので、予約時間については、当方の診療時間を短縮するなどの関係で、ご希望に添えない場合もございますので、ご了承いただきたいと思います。
もし、東京がニューヨークのように大変なことになったら、われわれ医療従事者は、まず今目の前にある命の危機への対応が最重要としなければならなくなるでしょう。人手が足りない場所の手助けも必要になるかもしれません。そのような緊急対応の現場から離れて久しい私のようなベテラン医師は、今そのような現場に行っても足手纏いになる可能性大ですが、今よりももっと悪い状況になるようなら、そんな医師の力でも必要とされることになる可能性があります。そうなってくると、流石に胎児の検査は二の次ということになるでしょうから、当院の診療も中断する可能性がないとはいえません。私個人としては、そこまでの状況に陥らないように、国民全体で協力しあって生きていけることを望んでいます。