FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

妊娠中期の血清マーカー検査(クアトロテスト、トリプルマーカー検査など)に苦しめられる人が増加している日本だけの現状。

なぜかここ最近、妊娠中期の血清マーカー検査(クアトロテスト 、トリプルマーカー検査など)についての相談事が連続しました。このような現象は、おそらく日本だけのことではないかと思われます。こんな事が今起こっていると海外の専門家が聞いたら、不思議がるでしょうね。新型コロナの罹患者数・死亡者数が少ない謎もあるし、まさに『不思議の国・日本』です。

不思議の国・日本

 なぜ不思議がることになるのか、それは、「なぜ今頃、そんな事が問題になるのか??このNIPTの時代に」という疑問なのです。欧米でこの検査を受ける人などほとんどいないと思いますし、中国あたりでも、数年前まではマーカー検査が基本になっていたようですが、今はみんな(特に都市部では)NIPTに置き換わっていることと思われます。

 ところが、日本ではそもそも出生前検査が普及していなかった上に、NIPTが厳しく制限されていること、それでいてNIPTの登場によって出生前検査への関心が高まった事から、妊娠中期の血清マーカー検査の実施数が増加するという奇妙な現象が起こってしまいました。

 どのような相談事例があるのか、紹介していきたいと思います。

検査結果が良かったのか悪かったのかわからない

 NIPTが話題になったこともあってか、感染症の蔓延など不安を増幅させることもあるからなのか、お腹の中の胎児が健康に育っていく事ができるのかについて、不安を抱え、検査を希望する人が増加している傾向にあるようです。それでいて、そういった検査の受け皿は少ない、情報提供も少ない、検査のために長時間移動するのも心配、などあって、地方在住の妊婦さんは、どこへ行けばどのような検査を受ける事ができるのか、よくわからないで右往左往してしまう事があるようです。

 ある地方の妊婦さんは、NIPTが受けられる場所はその地方の中心部に一施設しかないうえ、夫婦で何度か受診することを義務付けられている。その上、35歳以上でないと検査が受けられないという状況にありました。かかりつけ医では、出生前検査そのものを扱っていない。自分なりに調べて、隣の市にある産婦人科医院で、クアトロテストが受けられる事がわかったものの、その医院で行うと決めている時期を過ぎてしまっていました。その後、もう少し先の駅まで足を伸ばしたところの医院でようやくトリプルマーカー検査を受ける事ができました。しかし、検査を受ける事が出来てホッとしたのもつかの間、その結果に戸惑う事になってしまいました。

 この方の年齢から胎児にダウン症候群がある確率は約1/400ほどでした。これに比べて、この方自身の検査結果は1/320というものでした。この数字をどう考えたらいいのでしょうか。担当医は、「年齢から見た確率より高かった人は、羊水検査を受けられる事が多い。」と言いました。しかし、検査結果の伝票を見ると、図に書き入れてあるカットオフとおぼしき基準線のところよりは、低い確率の方にいるようでした。羊水検査を受けるにも、自宅から近いところで受けることはできず、またちょっと遠い医療機関を受診しなければなりません。

検査を受けたばっかりに、、、

 また別の相談事例です。

 40歳の妊婦さんが、かかりつけ医で、「35歳以上の妊婦さんには、出生前検査をお勧めしている。」と言われ、クアトロテストを受けました。その結果、「確率がカットオフより高い」という結果になってしまい、羊水検査を受けることになりました。羊水検査では、お腹に針を2回刺されたが、羊水が引けず、検査を断念することになったのです。本人も、かかりつけ医もどうしたものか困りました。流産の危険を冒すよりは、一か八か見ていくしかないという話なのです。これでは、ただ不安になるために検査を受けたとしか言えません。

 そもそも、35歳以上だからこの検査を勧めるということ自体がおかしいのです。この検査は、もともとは35歳以上は年齢だけを理由に羊水検査を受ける事が前提にあり、そこにこの血液検査を加える事で、年齢が高くても羊水検査を受けなくても良い人を選び出すと同時に、年齢が低くても羊水検査を受けた方が良い人を見つけ出すことを目的に作られたものなのですから、基本的に検査結果には年齢の要素が関係していて、年齢が高い人は「確率がカットオフより高」くなる事が多いのですから。

 だから本来なら、この方の場合は、はじめから検査を受けないという選択をするのでなければ、NIPTを選択するか、血液検査でやきもきしてから確定検査に進むという手順を避けてはっきりさせたいなら、はじめから羊水検査(あるいは絨毛検査)を受ける(それも安全に受けられる施設で)べきだったでしょう。当院でなら、羊水が取れずに終わることなどないし、2回刺すということ自体がほとんどありません。

 結局、悩みが深くなった妊婦さんを前にして、かかりつけ医も困って、「東京に行けば専門的に対応してくれる施設がある。」と言って当院の話が出たそうで、急いで相談してこられたという経緯でした。

誰がこの状況を作り出したのか

 この妊娠中期の血清マーカー検査は、前々回の記事(NIPTと超音波検査は、互いに補完し合う検査として存在する。 - FMC東京 院長室)内の図で示しましたが、1980年代の後半に実用化され、日本では1990年代に普及しはじめました。しかし、当時まだ出生前検査についても、検査対象となるダウン症候群についても、情報開示や理解が進んでいない社会背景もあって、この検査が無制限に普及することに危機感を感じた政府が、1999年に「母体血清マーカーに関する見解」を発出し、これ以降わが国における出生前検査・診断の発展が止まってしまったのでした。

 この「見解」を受けて、日本産科婦人科学会も学会誌において基本方針を周知し、出生前検査・診断を抑制的に取り扱ってきました。もともと1988年に発表されていた「先天異常の胎児診断、特に妊娠初期絨毛検査に関する見解」を、2007年には「出生前に行われる検査および診断に関する見解」へ改定し、2013年にはこれを「出生前に行われる遺伝学的検査および診断に関する見解」へ改定するという形で進めてきたわけです。

出生前に行われる遺伝学的検査および診断に関する見解|公益社団法人 日本産科婦人科学会

 この改定は、検査技術の進歩に対応するべく行われて来たわけですが、だからといって、新しく導入された検査についてのみ記されているわけではなく、旧来の検査(妊娠中期における血清マーカー検査もここに含まれる)についても、同様に十分な遺伝カウンセリング体制を整えて対処するよう求めています。しかし実際に学会が行なっていることは、新しい検査であるNIPTのみについて厳しい施設認定基準を設けて強い制限を行う一方で、こういった旧来の検査については、全く放置している状態であり、その結果、厳しい制限のためにNIPTを扱う事ができない一般の産科診療施設は軒並みクアトロテストやトリプルマーカー検査を安易に勧めるようないびつな状態が作り上げられて来ています。その上、学会に首根っこを押さえられていない産婦人科以外の診療科の医師たちが、NIPTを商売で行うという無茶苦茶な状況になっているのです。

 この現状のおかしさは、産婦人科医ならみんなわかっているはずなんです。それでも事態が動かないのは、なぜなんでしょうか。みんなお世話になった元上司や権威ある先生方には逆らえないのでしょうか。学会員や医会員としての立場がないと困ることになる構造なのでしょうか。悪目立ちすることは避けたいのでしょうか。別に無理して上層部に逆らうほどの必要性を感じないのでしょうか。なんらかのきっかけで物事が動く可能性はないでしょうか。今のままでいいのでしょうか、、、、