FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

「NIPTのよりよいあり方に関する提言」が関係各所に送付されました。

2020年6月17日水曜日に、「NIPTのよりよいあり方を考える有志」(呼びかけ人:齋藤有紀子・柘植あづみ)が、「NIPTのよりよいあり方に関する提言」を、関係する行政機関および学会などに送付しました。

以下のサイトに、趣旨説明および提言の全文掲載があります。

 この有志グループは、分野・立場の異なる16名で構成されています。当院スタッフでは、田村智英子、恒松由記子の2名が名を連ねています(いずれも各分野の専門家として個人の立場で参加しており、クリニックを代表してというわけではありません)。

 特徴的なことは、16名のメンバー全員が女性で、女性の立場・視点からの提言となっていることではないでしょうか。

 そういえば、先日手元に届いた日本産科婦人科学会雑誌に、新理事長体制のもと新たに任命された、各種委員会の委員が発表されていました。倫理委員会は、21名の委員によって構成されていますが、その内訳をみると、委員長・副委員長はじめ18名が男性で、女性はわずかに3名、この倫理委員会の下に設けられた、『母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する審査小委員会』に至っては、委員長(久具宏司氏が留任)以下11名すべてが男性というのと、全く対照的です。

 そもそもこれまで、日本産科婦人科学会の委員会のみならず、日本人類遺伝学会や日本小児科学会からも委員が出された、日本医学会の委員会まで、NIPTに関わる委員会のメンバーは男性(それもある程度の年齢以上のいわゆる権威とされる人たち)ばかりで構成されていました。しかし、出生前検査・診断について考えるときに、その一番の当事者は、現在、妊娠・出産・育児に向き合っている人たち、あるいは将来向き合うことになる人たちのはずです。これまでの歴史的な流れを踏まえて、深い知識と洞察をもとに次の世代に助言を与えてくれる上の世代の権威ももちろん必要かもしれませんが、その人たちばかりで当事者抜きの議論をしていた印象も否めません。それに私は長いことこの業界で仕事をしてきましたので、学会という組織が、どれほど権威主義に支配されている団体かということもよく知っています。専門的知識を要する問題とはいえ、社会全体のあり方に関わるこのような問題への対処が、医学・医療分野の権威が多くを占めている偏った構成の会議で決められていくことは、見直しが必要だと思われます。

 今回の提言は、指針の策定に当事者の参画を求めたり、情報提供に医療者自身の価値観を反映させないことや女性の意思決定を尊重することを求めたりしています。そのほか、全部で7つの提言が盛り込まれています。至極もっともな意見だと感じられるものばかりと言えるでしょう。この提言が、良い方向に作用することを切に望みます。

 そして、早く今の混沌とした状況に終止符が打たれ、本当に必要な人に本当に正しい方法できちんと検査を受けることができる体制が迅速に整備されることを望みます。議論が進まないまま体制がいつまでも整わないことも、妊娠出産の当事者にとっては、不利益にしかなりません。また同時に、専門医が手を拱いているうちにどんどんと増えてきた、認可を受けていない検査提供医療機関に好き勝手にさせないようにできないものかと思います。世界中であたりまえに行われている検査を日本の妊婦さんが受けようとすると、そういう施設に行かざるを得なくなるような歪んだ状況を早くなんとかしてほしいものです。

 提言の最後に、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの実現が出てきます。堕胎罪や母体保護法の問題について言及しています。

 私はこれまでこのブログで、我が国における人工妊娠中絶の問題について論じてきました。代表的なものとして、以下のものを挙げておきます。

妊娠中絶について、きちんと議論すべき時が来ている。 - FMC東京 院長室

本当に今こそ、この議論をきちんとできる体制を作っていかなければならないと思います。

 この第7の提言を読むと、以下の文章が出てきます。

私たちは胎児条項を加えることには反対です。なぜなら、「胎児条項」を加えれば、堕胎罪で中絶を禁じながら、胎児に疾患や障害があるとわかった場合には中絶しても良いと国が法律で認めることになり、それは差別に他ならないからです。

 この文章の捉え方が少し難しいと感じました。胎児に疾患や障害があることを理由に中絶を行うことが『差別に他ならない』という話は、その疾患の状況にもよるのではないかと思うからです。疾患や障害を抱えつつ生活を続けていくことがわかっている胎児について、中絶の対象とするというのが差別に他ならないというのはよく理解できます。しかし、胎児の疾患の中には、それどころではない場合があります。明らかに形成されているべき重大な体の部分が形成されていなくて、母親の胎内でしか生きていられないことがわかっている、外界ではとても生きていけないような疾患の胎児を中絶することも、やはり差別なのでしょうか。胎児に異常があるという理由での中絶は、このような場合でも認めてはいけないのでしょうか。『胎児条項』の必要性を主張する人たちは、このようなケースを想定してそれが必要なのだと考えておられるのだと思います。そこで問題になるのは、その線引きです。どのぐらいの障害なら本当に生きていけないものと判断可能なのか。胎児の疾患や障害が、その程度重いものなのか、どの程度治療可能でどの程度自立生活できるのかなど、明確な答えを出すことはすごく難しいのです。例えば胎児の状態を評価してランク付けするようなことは、簡単にできる話ではありません。

 提言の文章をよく読むと、前提条件として、『堕胎罪で中絶を禁じながら』という文言があります。要するに国が、障害のある胎児であれば中絶しても罪にならないというお墨付きを与えることが『差別に他ならない』ということなのでしょう。

 つまり、私たちが今後考えなければならないことは、現行の堕胎罪とそれを逃れるための道として存在する母体保護法という仕組みそのものの問題点だと思います。『胎児条項』を入れる入れないの議論は、そもそもこの前提の上に立っているから、いつも難しくなるし、線引きの問題にぶち当たるのです。中絶が、そもそも罪悪であり、それを母体保護法指定医の許可のもとで許されるという形になっている根本のところに問題があるのです。妊娠中絶の議論は、母体保護法の内容をどうこうする議論ではなく、もっと大元の堕胎罪の存在に遡って、その存在を問うことを議論しなければならないと思われます。以前なら、このあたりのところについては思いが至らなかったり、極端な考えのように扱われたりしたかもしれないのですが、2020年の現在の状況は以前とは少し違います。なぜなら、参考になる実例があるからです。今年3月のニュージーランドでの法改正です。

 ニュージーランドでは、若い女性首相のもと、画期的な法改正が実現しました。彼女は、就任してまもなく産休を取得したことで話題を呼びましたが、この法改正の実現、そして新型コロナウイルス対策の成功と、次々に成果を挙げている姿は本当に素晴らしく、社会の変革が進まない国にいる立場から見ると羨ましい限りです。女性議員比率は38%にのぼり、世界経済フォーラムのgender gap指数でもトップテン入りしています(ちなみに日本は153カ国中121位)。

 「NIPTのよりよいあり方を考える有志」のようなグループが、今回この問題について提言を発したことは、大きな意味を持つと思います。提言内容を多くの方に知っていただき、この問題についてしっかりと考え、より良い社会につなげられるようになってくれると良いと考えています。