FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

ポーランドにおける中絶禁止法に関連した妊婦死亡のニュース。決して対岸の火事ではない。

先日目にしたニュースです。妊娠中絶が厳しく制限されているポーランドで、医師が中絶を躊躇した結果、妊婦が死亡したことをきっかけに、中絶要件の厳格化に抗議するデモがワルシャワで勃発しました。

胎児が死ぬまで「医療行為を拒否された」。妊婦死亡で中絶禁止に抗議のデモ ポーランド | ハフポスト

 記事によると、妊娠22週の妊婦さんが破水して入院した際に、胎児に異常が見つかったが、厳格な中絶禁止法のもと、胎児が生存している間は様子を見ることしかできず、母体の感染症が悪化し、胎児死亡を待って帝王切開で胎児を娩出しようとしていたところ、敗血性症ショックか何かで妊婦さんが亡くなったということですが、詳細は分かりません。

 デモを主催した活動からは、ポーランド憲法裁判所が、昨年10月に胎児の先天異常を理由とする人工妊娠中絶を違憲とする判決を下したことが、医師が処置を躊躇することにつながり、この不幸な結果の原因になったと主張しているようです。一方、ポーランド与党は、医師の判断ミスが原因だとしているようで、この判断は、実際の社会や専門家集団の置かれている状況などの背景の実感がないと難しいように感じますが、どうも医師の判断は良くなかったと思うものの、その判断に先の裁判結果が影響を与えていることは想像されます。

敬虔なクリスチャンには中絶回避派が多い?

 ポーランドには、カトリック教徒が多く、中絶に関する法律の規制はヨーロッパでも最も厳しいとされているとの記載があります。ヨーロッパにはたくさんの国がありますが、妊娠中絶の扱いは、国ごとに大きな違いがありますね。敬虔なクリスチャンが多い地域では、妊娠中絶は忌避される傾向があることは、米国でも多くの州では州法で中絶が禁じられていることを見てもわかります。

 もともと人工妊娠中絶は、厳格に規制すると非合法の危険なヤミ中絶が増加する問題があり、カトリック教徒の多い西欧諸国においても、1970年代中頃以降、一定条件のもと合法化の流れが進んできました。この条件設定や許容範囲に国による違いがあるわけです。近年では、母体に危険がある場合に限ると厳しく規制されてきたアイルランドで、中絶の合法化の是非についての国民投票が実施され、その結果国民の2/3が中絶合法化に賛成であったことより、一気に合法化への流れになった例があります。

日本では中絶は違法?

 さて、このニュース。厳格な宗教などの思想的背景があると、生命倫理の議論が偏りがちになることが明確になっている実例と考えられます。こういったニュースを目にすると、日本では中絶が強く制限されているイメージがなくて、そういう国は大変だなあと他人事のように感じる人もいるかもしれません。最近よく取り上げられるニュースでも、出生前検査で染色体異常がわかった妊娠の9割が中絶に終わっていることが話題になるので、日本ではこういう問題は起きないと思われているかもしれません。しかし、このポーランドで起きたような事例が、日本でもいつ起きても不思議ではないのです。

 なぜなら、厳格に考えると日本の法律では、胎児の異常を理由とした中絶は認められていないからです。日本では、刑法に堕胎罪という規定があり、基本的に妊娠中絶は違法となっているのです。ではなぜ、日本では中絶が可能となっているのかというと、他国が長年の議論を経て、中絶を合法化する方向に変化してきたのと比べて、極めて特殊な形で解決しているからなのです。それは、母体保護法という法律のもと、この法に基づいて指定を受けた医師が、この法で規定された要件に従って行う場合に限って、刑法堕胎罪の適用を阻却されるという形です。

 単純にいうと、本来違法である中絶について、母体保護法指定医が判断すれば違法性を免れることができるということです。しかし、この形式の中においても、母体保護法上の妊娠中絶可能要件に胎児の異常は含まれていませんので、指定医が厳密な解釈をすれば、胎児の染色体異常を理由に中絶することは違法になります。ではなぜ胎児の染色体異常が判明した場合の9割が中絶していて、違法性を問われないのかというと、中絶を行う要件として、別の理由(多くは経済的理由)をあてはめて、合法的に可能という形にしているからであり、これまでこのやり方について、違法性を問われたケースはありません。

現場がいつまで容認され続けるのかは不確定要素

 世の中、これで問題なく回っているのだから、まあことを荒立てずにこのまま行きましょう。というのが、多くの曖昧な問題に対する日本人集団の対処法だったので、なんとなくそのままになっていますが、その影で傷ついている人の存在にはあまり目を向けられないできました。しかしこのやり方は、ちょっと状況が変わっただけで、流れが大きく変わる危うさを秘めているのです。

 例えば、母体保護法指定医はもっと厳密に妊娠中絶実施要件を守らなければならないとされ、「経済的理由」で行なったとされる妊娠中絶の当事者たる妊婦さんに全く経済的な問題がないことが証明されて、医師が違法性を問われ有罪となる事例が起こったらどうなるでしょうか。あるいは、ハンディキャップを背負って生まれてきた赤ちゃんのいる家庭には、十分な経済的援助が国から保障される体制が完璧であったなら、どういう理由で中絶が容認されることになるのでしょうか。状況はポーランドと全く同じではないでしょうか。

 そもそも現在の状況は、なんとなく容認されてはいますが、違法状態が続いているという認識の人はそれなりの数いるのです。現在、中絶を扱っている医師が違法性を問われないでいられるのは、司法の側で現状が社会的に容認されていると捉えているからであり、大きな権限を与えられている形の母体保護法指定医師にそれなりの信頼が置かれているからでしょう。指定医師に資格を与える側の地域医師会も、指定医師がこれまでの慣習を外れた形で無闇に中絶手術を行わないように、講習会などを定期的に行うなど、現状維持に努めています。しかしこの現状は、いわば出生前検査・診断があまり積極的ではなかったこれまでの状態における安定なのであって、出生前検査の普及を快く思わない人たちにとっては、検査の結果問題が見つかった場合の中絶率9割という数字は、看過できないものに思えているかもしれません。

 そして、胎児の異常を理由に中絶することに対して、もっと母体保護法を厳密に解釈し、簡単に容認すべきでないと考える人たちは、産婦人科がなし崩しに中絶していると感じていて、産婦人科医に対して批判的・懐疑的な見方をしています。こういった考えからの意見が強くなれば、今の中絶の状況は簡単にポーランドの状況に近づきます。

皺寄せは妊婦に

 現在の法による規定と現実とのずれの曖昧さの問題は、単に運用面だけの問題ではありません。産婦人科医を含む多くの人は、現在の状況について、なんとなくうまくいっているのだから変にめくじらを立てない方が良いと考えているかもしれません。しかし、現実にうまくいっているのでしょうか。表面的には問題なく見えたとしても、当事者にとっては大きな葛藤の原因になります。中絶を選択する妊婦さんたちにとっては、本当は罪になる行為について、なんとなくグレーな形で許されているという状況になるので、罪悪感が植え付けられてしまうのです。今でも、中絶以前に、出生前検査を希望した時点で、「胎児の異常を見つけて中絶することは、倫理的に問題があるし、違法なことをしようとしているのですよ。」というようなことを言われるケースが多いのです。検査を受けるというだけでも、罪悪感を植え付けられてしまうのです。

 妊娠中絶に対する見方、考え方には、さまざまな解釈があると思います。命とはどこからが命なのか、命と言われるものは皆同じ価値で同等に尊重されなければならないのか、独立した命と子宮内の生命の違いはどのように扱われるべきなのか、妊婦の命と胎児の命はどちらがより尊重されるべきなのか、など、倫理面での議論の種は尽きません。それらの答は、文化や社会状況、それぞれの個人の信念や、環境の変化などによって左右され、絶対的な真理として万人に受け入れられるものにはなり難いのです。だから、どのような立場の人でもその立場が尊重されるような形での解決策が存在することが理想で、きちんとした議論に基づいて形作られていくべきだと思います。しかし、現在の曖昧さはそういった議論をむしろ回避してなし崩しに運用されている状態で、その皺寄せは妊婦や中絶後の女性に降りかかっているようです。

 医師の中には、中絶する人にはある程度の罪悪感を背負ってもらうのは当然のことだと考えている人もいます。このような考えは、はじめから中絶=罪悪という規定ありきで形作られています。私たちは、そのスタート地点から規定すること自体、本当に正しい考え・態度なのか、疑問を持たなければならないと思うのです。

産婦人科医が信頼されない原因は、産婦人科医自身の問題なのか?

 これまでいろいろな場所で続けられてきた出生前検査・診断や、人工妊娠中絶に関する議論を見聞きしてきた中で、常に感じざるを得ないことは、産婦人科医が信頼されていないという空気感でした。特に小児科医療や障がい者支援・福祉に関わってきた立場の人たちから、「すぐに中絶してしまう信頼のおけない産婦人科医たち」という目を向けられている印象が拭えず、だから本来産婦人科医がリードすべき妊娠中の検査の問題に関しても、産婦人科医には任せて置けないという雰囲気を強く感じます。

 もちろん、産婦人科医の側にも問題は多いとは思います。しかし、もっと根本的な問題が別にあるのではないかと思うのです。それが、妊娠中絶の法的規定の問題だと思います。この国では、どういう場合に人工妊娠中絶が容認されるのか、その決定権は誰にあるのか、現行の刑法堕胎罪の存在や母体保護法の規定に問題はないのか。そもそもこれらの法律が制定・施行された時と現在とでは、医療にしろ社会通念にしろ、はたまた国にありかたにしろ、大きく変化しているのではないだろうか。この議論をきっちりとやって、法そのものを見直すことをやらないと、この問題は解決しないのではないでしょうか。

 法がきちんとしていれば、何事も妊婦のせいにして罪悪感を与えたり、産婦人科医に対して不信感を持ち続けたりといったことも、軽減されるのではないだろうかと思うのです。