FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

ネット記事は、何を目的としているのか。ただセンセーショナルに煽るのでは、人を不安に陥れるだけで、害でしかない。 - 時事メディカルの記事『中国で重症妊婦が死産』の問題点

新型コロナウイルス関連で、いろいろな情報が飛び交い、すべての国民が不安な日々を過ごしていることと思います。しかし、その不安の多くの部分が、不正確な情報の拡散に起因しているように思われてなりません。先日も、JBpressというメディアが、とんでもない誤報を撒き散らし、問題になりました。これは、こういう記事をつくる人材が、しっかりと科学論文を読めないまま、ちょっと拾ってきたものを大きく記事にしてしまうことが原因です。

jbpress.ismedia.jp

 同様の事例として、妊婦さんにとってちょっと怖いニュースが出ていることを、当院への問いあわせを通して知りました。時事メディカルというところが配信した以下の記事です。

medical.jiji.comしかし、この記事には明らかな問題があります。これについて解説していきたいと思います。

 何しろこの記事、表題が怖すぎます。現在妊娠している人にとって、死産という言葉ほど怖いことはないのではないでしょうか。この記事に書かれていることは本当なのか、はっきり調べないと、不安を抱えている妊婦さんたちにお答えできません。そこで、元の論文を調べてみました。

 Journal of Infectionという、感染症の専門誌の電子版に掲載されている論文です。電子版は、冊子体に掲載される前に、速報的に乗せられているもので、まだ冊子の体裁になっていない論文です。以下がリンクです。

https://www.journalofinfection.com/article/S0163-4453(20)30109-2/fulltext

中国は広州市にある、中山大学の第一病院の医師たちの論文です。

 さて、問題の記事冒頭には以下の記載があります。

武漢市を除く中国国内で新型コロナウイルス感染のため入院し、帝王切開で出産した妊婦10人の症例を調べ、感染症専門誌ジャーナル・オブ・インフェクション電子版に発表した。このうち9人は健康な新生児が誕生し、母子感染はなかったが、重症の1人は死産となった。

 これを読むと、『10人中9人では母子感染はなかったけれども、重症の一人は死産』という書き方がされており、表題の『新型コロナ感染影響か』という表現と合わせて、まるで死産の原因に母子感染の疑いがあり得るのではないかと思わせられます。

 しかし、元論文を読むと、一人は死産に終わっていますが、10人全員において臨床的にも血清学的にも垂直感染(子宮内の胎児への母児感染)の証拠はない、と記されています。論文には症例の一覧表がついていますが、この表を見ると、死産に終わった例(Patient 6)でもVertical transmission(垂直感染)の欄は、明確に『No』と記されています。

 また、そもそもこの論文の対象症例数は10ではなく13例であり、そのうち10例は帝王切開になっていますが、3例は、一度入院したものの症状が軽快して退院し、そのまま妊娠を継続しています。また、死産に終わった1例以外は12人すべて明らかな合併症なく退院しています。

 帝王切開になった10例中5例は、緊急帝王切開になっています。その内訳は、3例が胎児機能不全(fetal distress)、1例が前期破水、もう1例が死産例(子宮内胎児死亡)です。死産例は胎児適応による帝王切開ではありませんので、母体が分娩に耐えられる状況ではなかったから帝王切開になったものと考えられます。このケースは、重症肺炎を発症し、急性呼吸窮迫症候群を含む多臓器不全の状態になって集中治療室での管理が必要になったと書かれていますので、母体の状態はかなり悪かったと考えられます。論文が発表された時点で、体外式膜型人工肺を用いた管理になっているようです。おそらく呼吸状態の悪化による低酸素血症が妊娠の予後に関係していると思われます。死産の原因には様々なものがあり、残念ながら、この論文中ではその原因が明確には述べられていませんが、少なくとも、垂直感染(母児感染)が原因とは考えられていないことは明らかです。

 論文を読み進めていくとわかるのですが、著者たちがまとめとして述べていることは、そもそもこの新型コロナウイルス感染症は、合併症のある年齢の高い男性においてより起こりやすいという報告があるが、妊娠女性においても油断はならないということを示したということであり、死産例が一例あるものの、そのこと自体を強調しているわけではありません。妊娠女性における新型コロナウイルス感染の症状が、無症状から重症まで幅広く違いがあることは、妊娠していない人を対象としたこれまでの報告と類似していて、ほとんどの妊婦は軽症から中等症であったと述べています。発熱と倦怠感が主要症状で、のどの痛みや早い呼吸はより少ない症状でした。そしてほとんどの患者において、感染に至る過程が明らかでした。13例中1例(7.6%)が、集中治療室への入院を要する重症肺炎に至ったことは、これまでの一般的な重症率(5%)と同様であったと述べています。つまり、この13例の経過からは、妊婦は若い女性だからといって甘く考えないで、妊娠していない人同様に十分な注意が必要だが、妊婦だからといって特別に症状が悪化しやすいというわけでもないという結論に達しているのであって、死産例がでた!というように騒ぐことは著者の意図したものではありません。

 垂直感染が問題となるウイルスとしては、風疹ウイルス、サイトメガロウイルス、ジカウイルスなどが知られています。一方で、インフルエンザウイルスではこれまでそのような報告はありませんし、コロナウイルスも、これまでのかぜ症候群の原因として存在したものや、SARS、MERSも含め、垂直感染は起こっていません。もちろん、新型コロナウイルス感染妊婦の報告はまだそれほど多くあるわけではありませんが、少なくともこれまで示されたデータでは、垂直感染の事例はありません。

 この“時事メディカル”、株式会社時事通信社というところが運営しているようなのですが、ページの一番下の方に、横浜市立大学医学部医学科同窓会・倶進会のクレジットがあり、ここをクリックするとこの会のページに飛ぶのですが、ページの体裁が時事メディカルと全く同じです。このようなきちんとした医学教育関連団体と提携していることを前面に出しているメディアは、スクープをつかんだが如くセンセーショナルに煽る書き方をするのではなく、引用論文に記載された事実を淡々と誠実に伝えていただきたいものです。そうでないと、これを目にする一般市民への悪影響が大きすぎます。

 JBpressのように明らかな誤りが拡散されているわけではないにしても、読者をミスリードさせるような書き方は慎んでもらいたいものです。多くの人が目にするメディアに、それもまるで権威があるかのような立場で文章を載せる人は、その影響の大きさを常に意識して、事実が正確に伝わる記事を書いていただきたいと思います。特に、こういった記事の見出しは、注目を集めようということを意図するあまりに、恐怖心を煽る結果にならないように注意すべきです。多くの人は、内容を吟味することなく、タイトルに引っ張られてしまうだろうと考えられるからです。