FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

コウノドリ第10話への反響と考えたこと

 先日、TBS金曜ドラマ・コウノドリ 第10話について書きました。

コウノドリ第10話は、出生前診断の話題でした。 - FMC東京 院長室

ちょうど第3回 日本産科婦人科遺伝診療学会開催中に放映されたということもあり、学会に参加していた多くの医師の感想を聞くことができました。概ね高評価で、何より診断を受けた妊婦と家族のみならず、医師が日夜感じている葛藤がきちんと表現されていることを、これまでこのようなドラマで見たことがありませんでしたので、医師の立場から見ても感情移入できるものでした。

そんな中、ダウン症候群のお子さんを育てておられる方の感想を知ることができました。たいへん大事な内容だと感じましたので、取り上げておきたいと思います。

 いろいろな想いもあるだろう中で、客観的かつ冷静な意見を書いておられます。それだけでなく、ご自身の体験してきたこと、現在の思いなど、当事者でないと語れないことを率直に語られ、きちんと記載しておられるので、すごく参考になりました。

知るって、時間が必要なんだという結論、大事な事実だと思います。

ただ、以下の記述に関しては、少し気になりました。


> 胎児医療の技術が進んで
多くの胎児の命が救われている現実と
今の出生前診断が存在する意味とが
あまりにも解離しているような気がして

そうですね、すごくよくわかるんです。多くの方が同じように感じておられるのだろうなと思います。ここで、「今の出生前診断」と表現されているものは、おそらくトリソミーを見つけるために使用されている検査のことを指しておられるのだと思います。しかし、こういった検査の開発は、それだけを目的としているわけではなく、「胎児医療の技術が進む」ことと連続したものなのだと私は考えているし、私の中では決して乖離しているものではないのです。このことについて、私たちはもっと一般の方にわかっていただけるよう努力する必要があるのだと感じました。
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ここからは、上記ブログ主さんとは関係のない、私なりのまとめです。

時々感じることなのですが、一般の方やマスコミの方の中に、「出生前診断」の対象というと、もうほとんどダウン症候群しか思い浮かんでいない人がたくさんいらっしゃるような気がしています。ダウン症候群は有名だからいつも取り上げられるし、人数も多いから、実際に接したことがある人も多いと思います。でも、先天性の疾患には実に様々なものがあります。染色体異常にもいろいろな種類があるし、染色体検査をしても異常が見つからないけれども、おそらく遺伝子レベルでの問題があって、発達の問題が生じるような障害を持つお子さんもおられます。何年も頑張って苦労して育てつつ、いくつかの検査をしてみても、原因がわからないし治療法もわからない。そしてもう一人子供がほしくても、次の子にも同じようなことが生じる可能性がどのくらいあるのかもわからない。どういう手順で調べれば良いかもわからない。などといったより難しい問題を抱えておられる方も、たくさんいらっしゃいます。

一方、胎児期に的確な診断が得られることによって、適切な治療を受けることが可能となり、診断がなされなかった場合と比べて、生まれた後の経過が格段に違うという病気も多々あります。そういうものを発見する出生前検査・診断も、ダウン症候群を見つける検査も、全て一連の流れの中にあるのです。また、検査方法・診断方法の開発の流れの中に、治療のヒントが見つかる場合もあります。治療法の開発につながることもあるのです。こういった意味で、私たちは進歩を止めるわけにいかないと考えるのです。

出生前検査・診断の話は、必ず妊娠中絶の選択とつながる部分もあるために、妊娠中絶に反対する人たちは、その意味から検査・診断を否定するという立場をとることがあるようです。しかし、妊娠中絶についての問題と、出生前診断の問題は、必ずオーバーラップするものの、必ずしも同じ枠組みで考えることではないのです。また、胎児に異常が見つかって中絶することと、障害者差別の問題とは、切り離して考えないと問題の本質を見失ってしまいます。このあたりについても、いずれ掘り下げて語っていかなければならないと考えています。