このところちょっと学会の裏事情的な話題ばかりでしたが、それは一段落として、もう少し実際の診療に関わる話をしていきたいと思います。
現在、学会認可の施設でのNIPT検査は、3種類のトリソミーのみに限定されています。NIPTコンソーシアムからは、施設認定・登録部会宛にX,Y染色体に検査対象を広げる要望を提出しているようですが、今回は見送りになったようです。
しかし、学会認定を受けずにNIPTを実施している施設(これがこのところかなり増加傾向にあるようで、当院を受診される方の中でNIPT検査を終えている方の割合がどんどん増加傾向にあります)では、X,Y染色体にとどまらず全染色体の異数性、染色体微細欠失などにまで検査対象を勝手に広げて行なっています。海外の検査会社が提供している検査を、あまりよく考えもせずに情報が多ければ良いだろうという考えで行なっているように見受けられます。
drsushi.hatenablog.com最近、当院に来た相談の中に、このX,Y染色体に関連したものが続きましたので、その問題点を明らかにすべく、話題として取り上げたいと思います。
女性ならXX、男性ならXYとなるX,Y染色体の数の以上にはどのようなものがあるかというと、数が少ない場合はXが1本だけのXモノソミー(ターナー症候群)、多い場合にはXXY(クラインフェルター症候群)がよく知られていますが、そのほかに、XXX女性やXYY男性があって、これらすべてが認定外施設NIPTでの検査対象になっています。
検査を受ける方は、わりと軽い気持ちで男女が知りたいとお考えになって、大した説明も受けずにこの検査もお受けになっておられることと思いますが、そこで上記のような数の異常を指摘された場合に、何が何だか分からなくなり、当院に相談が入ります。
私は胎児の性別がわかることに問題があるとは全く思っていないし、ターナー症候群についてあらかじめ情報を得ることなどには、一定の意義があると考えていますので、検査対象が広がること自体は問題になるとは思わないのですが、検査でわかること・わかったことについての説明や遺伝カウンセリングができない状態で、この検査を行うことはかなり問題だと感じています。
なぜなら、上に挙げたような数の異常のうちでも、ターナー症候群はそれなりにわかりやすいとしても、XXY, XXX, XYYについては、それとは知らずに普通に社会生活を送っている人がかなりの数おられるからです。
特にXXX女性は、ほとんど何の問題もないのです。XXX女性は1000人に1人ほど存在すると言われていますが、実際に診断がついている方は、そんなにもいません。なぜなら特別な症状も特徴も何もないため、本人も周囲も気づかないうちに一生を終える人がかなり多いと思われるからです。
しかし、ネットで検索したりすると、古い教科書からの情報や、出所の不確かなあまり正確でない情報が蔓延していて、読むものを不安にさせるような情報も少なくありません。それどころか、医師の間でも正確な情報が伝わっているとは限らないために、医療機関における説明も間違っている場合もあるのです。思い出すのは、以前に当院に今朝な目的で受診された方の問診の際の話です。当院に来られた時の妊娠ではなくその前の妊娠の際に、高齢を理由に他院で羊水検査をお受けになり、その結果が47,XXXだったそうなのですが、この結果説明を行った医師が、「これは問題だ。どんな症状が出るかわからないが、知的障害や体の症状などいろいろな問題が生じる。」といったような説明をされ、この結果を持って妊娠中絶しておられました。この医師は、全く正確な知識を持たないばかりではなく、調べもせずに自分の持つイメージのみで重大な説明をしていたようでした。このようなことが実は結構あるようなので、小児科医や遺伝専門医から見て産婦人科医が信頼できない原因になっていると思われます。遺伝カウンセリングの重要性が話題になる背景にはこういった事実があるのです。
日本産科婦人科学会はこのような事例をなくし、きちんとした説明ができる体制を整えることを目指して、講習会を開いたり遺伝専門医のいる施設に繋がる仕組みを構築しようとしています。しかし、認定を受けずに勝手にNIPTを行なっている医療機関は、そのような枠組みの外にいます。全く説明ができないことや、誤った説明がなされてしまうことが、頻繁に起こる懸念があります。当院に相談に来られる方は氷山の一角です。中には曖昧なまま妊娠中絶に至ってしまう方も多く存在しているに違いありません。
私たち出生前検査を専門に扱っている専門家でさえ、十分な情報が手に入っているわけではありません。なぜなら、全ての妊婦・胎児が、あるいは全ての人が染色体を確認しているわけではないので、何かのきっかけでたまたま染色体を調べた結果判明した方のみを対象としてしか情報を得ることができないからです。
そんな中で、私の専門医仲間で盟友とも言える池田敏郎医師(鹿児島大学病院遺伝カウンセリング室/米盛病院胎児診断外来)がデンマークの機関がまとめた文章を日本語訳してくれたサイトがありますので、以下に紹介します。福祉国家として有名なデンマークにおけるサポート体制や人々の意識と日本の現状との間には開きがありますので、そのままわが国に当てはめることはできないことも多々あるという意識を持ちながら読む必要があると思いますが、情報が少ない中で困っている方の助けになると思います。
染色体検査の結果や胎児や赤ちゃんの検査で得られた病状を説明する言葉は、そこから得られるイメージや言葉のメッセージの伝わり方が、説明している側の持つイメージや伝えたい内容とかけ離れてしまうことがよくあります。私たちは可能な限り慎重に、できるだけ正確に伝わるようにするためには、どのように説明し、どのように理解を得られるようにするべきなのか、常に考え続けていますが、思い通りにいかないこともよくあります。診察室や遺伝カウンセリング室でお話しした時には、しっかりわかって帰っていただいたと思っていても、周囲の人たちからいろいろ言われたり、インターネットサイトを検索して違った情報を得たりした結果、混乱してしまう方もおられます。
特に難しいと感じていることは、「染色体異常」という言葉や「発達障害」とか「知的障害」とかといった、「異常」「障害」という表現です。
47,XXXも、専門用語にあてはめて言うと、染色体の数的異常ということになります。数的異常と言葉で言うと、「異常」と言う言葉が一人歩きしてしまう懸念があります。「異常」と言うと、「正常」な状態ではないんだ、というイメージを持ってしまいがちです。しかし、染色体検査など検査結果の異常と、実際の表現型(体に現れる症状など)とは必ずしも単純に一致するわけではありません。同じ染色体の数的異常を持っていても、個々の人間の表現型には違いがあるのです。これは考えてみれば当たり前のことで、例えばよく知られているダウン症候群でも、心臓に病気がある子もいれば、心臓には何の病気もない子もいるわけです。染色体が正常な人でも、先天性心疾患を持っている場合があります。
何が「正常」で、何を「異常」というのか、「正常」と「異常」の線引きはどうして決められるのか。それは何について言うかによって違います。検査結果であるならば、その線引きはある程度明確です。例えば血色素濃度がこの数値よりも低い人は貧血という線引きができるので、これに基づいて治療方針が決定されます。しかし、個々の人間の性格などについて、線引きをすることは困難です。また、何らかの「異常」があるからといって生活していけないわけではありません。例えば私の小指が脱臼の影響で曲がったままになっているのと同じように、多くの人が何らかの異常を持ちつつ生活しておられることと思います。検査結果に関して不安が強いと、ちょっとした言葉に引きずられて悪いイメージを増幅させがちになりますが、「異常」「障害」といった言葉の単純なイメージに引きずられることなく、専門家からの説明を落ち着いて聞いて、わからないことについて不確かな情報を拠り所とせず、専門家に確認してもらいたいと考えています。そして、私たちは、専門家からの正確な情報が伝わりやすくなるような体制づくりの必要性を感じています。