FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

ブログ読者の方から届いた一冊の短編小説

 作家と編集者とデザイナーがチームを組んで、2日間で短編小説作品を仕上げ、その出来を競うNovel Jamというイベントで、最優秀作品賞を受賞された紀野しずくさんが、受賞作品を届けてくださいました。
 『ふれる』という作品です。流産を複数回経験されたのちに、治療を受けながら次の妊娠に臨む女性と、寄り添うパートナー男性との1日を描写した作品です。主人公の女性の揺れ動く心情と、パートナーとの触れ合いの中で、通じ合う心とわかり合えない部分とが、素直にかつ瑞々しく表現されています。表題の『ふれる』には、『振れる』と『触れる』の二つの意味を持たせているとのことでした。
 待合室に置いておこうと思います。同じような『ふれる』経験をされた方、実際にされている方もおられることと思います。共感が得られる作品に仕上がっているのではないかと思います。
 私は、専門家の立場で客観的にみながら読んでしまうところがあるために、すんなりと感情移入できない分、一般的な読者の方々とは違った感想になってしまうだろうと思うのですが、私なりに感じたことを書き記しておきます。


 私にとっては、わりと日常的に接している妊婦さんたちの、しかし診療を行う立場からは窺い知れない心の動きを、受け止める側としてわからせてもらった気がしました。ある程度の想像はしていても、そして少しはわかっているようなつもりでも、医師のちょっとした一言や、ふと見せる態度などが、想像する以上に大きな影響を与えてしまうことは、実は医師はあまり意識してはいませんし、時に無関心でさえもあります。それは、その一瞬の出来事のようでいて、その積み重ねが、生活の中のかなりの部分を占めるようになって、しかしそのことは、誰にもわかってもらえないすごく個人的なことであるという辛さもあるのでしょう。同じような孤独を背負った多くの方が、何人も同じ待合室の中に並んでいて、しかしみんなその先同じ道に進むわけでもないので、お互いに共感を持って繋がれるわけでもない、複雑な状況です。自分が決してその立場で座ることのない、診察室の壁を隔てた向こう側に、私たちの想像の及ばないドラマがあることに気づかされました。
 専門家としての立場からは、少し誤解があるのではないかとか、この誤解がなければもう少し楽な考え方ができるはずなのではとか、医師の説明や姿勢は正しいのかとか、いろいろ考えてしまうのですが、おそらく医師がどんなにきちんと説明しているつもりでも、医師が思っているようには伝わっていないことが実際にはすごく多いのだろうと思います。何しろはじめから立ち位置が違うし、もともと得ている情報や知識にも差があるので、そこには必ず少しはコミュニケーションエラーが生じるはずなのです。それは説明を聞く側の捉え方の不味さでは決してなく、どうしても乗り越えられない壁のようなものなのでしょう。もし自分は完璧に伝えたと思っているなら、それは医師の自己満足に過ぎないのだと思います。それでも、伝え方の巧拙は確実にあるので、少しでも伝えるべきことがきちんと伝わるよう、そして相対する立場ではあっても、共有できる感覚を持てるよう、努力し続けなければと、改めて感じています。
 もう一つ、医療現場ということを離れて一般的な夫婦のお話として読むと、この物語には夫婦の共感とすれ違いとが、明瞭に描写されています。そしてそれは、単に「夫婦の」というだけではなく、男女の違いを如実に表しているなあと感じました。このあたりは、医師の立場から離れて読むことができました。他の誰とも共有できないものを二人だけで共有して、支えあいながら暮らしていく夫婦の、しかし永遠にわかり合うことのできない部分。この短い物語の中に、わかり合えない男女という永遠のテーマが潜んでいて、いや潜んでいるというよりどっしりと通底していて、妊娠と流産という必ずしも誰もが経験するわけではない特殊なテーマを扱っていながら、すごく普遍的な男女の物語が紡がれているんだなあと思いました。そうした意味でもよくできた小説で、最優秀賞に値することが理解できました。
 当院に来院される機会のある方は、ぜひ一読していただけることをお勧めします。

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