FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

『切迫流産』は、『保険病名』で、そのほとんどは流産とは関係がない??

今でも切迫流産という病名がつけられている妊婦さんはかなりたくさんおられるようです。『切迫流産』と言われると、流産が切迫しているとお感じになるかもしれません。『切迫流産』でネット検索すると、ほとんどのページで、『流産の一歩手前の状態』というような表現がされていますので、本当に切迫している状態だと感じる方が多いだろうと想像されます。

しかし、実際にはこの『切迫流産』と流産との間には、関連はほとんどありません。

古典的には、『切迫流産』の定義は、『少量の出血があるが,子宮口は閉鎖しており,正常妊娠への回復が可能でもある』という表現がありますが、日本産科婦人科学会が研修医向けに編纂している『研修コーナー』の中でも、上記表現と、『胎芽(胎児)が生存している可能性があり,子宮収縮,性器出血,子宮口の開大または頸管の短縮,または胎胞の腟内脱出のいずれかが認められた場合』という表現とが同じ項目の中に混在(日産婦誌59巻11号研修コーナー)していたりして、曖昧な状態になっています。そもそも古典的な定義が決められた時代には、まだ超音波診断装置も普及しておらず、現在のように経腟超音波を用いて妊娠7週には心拍が確認できるというようなことはありませんでしたので、出血は全て流産につながる恐れがあると考えられていたのです。現在では、経腟超音波で胎芽や胎児心拍が見える時期にも関わらず、これらが見られないうちに出血して来たケースと、心臓の拍動がしっかりと確認できているが出血したケースとでは、状況が全く違うことがわかっているわけですが、当時はそのような違いを認識することはできませんでした。その当時に作られた概念に基づいた病名が、未だに使用されているに過ぎないのです。

日本産科婦人科学会のホームページにも『切迫流産』の解説(流産・切迫流産:病気を知ろう:日本産科婦人科学会)があり、そこには『流産の一歩手前の状態である』と書かれていますが、切迫流産という病名がつけられた場合に、実際に診療した医師が流産するかもしれないと思っていることは、ほとんどないのではないかと思われます。

この『切迫流産』という病名は、都合よく使われてきました。私が研修医だった頃(今から30年ほど前です)、妊娠初期に出血をしたという主訴で夜間救急外来を受診される方に対して、ほぼ全ての場合、この診断名がつけられていました。なぜなら、診察などを行なって診療報酬を得る場合に、その診療について健康保険組合などから支払いを受ける際には、診療に見合った病名がついている必要があったからです。実際には、妊娠継続に支障はないように思われる場合でも、診療を行ってその報酬を得る以上は、なんらかの病名がないと整合性がとれません。このように、とりあえず保険診療として認められる(自己負担でなく、保険者から診療報酬を受け取る)ためにつけておく病名を、『保険病名』と言い、私たちは医師になった頃から、何しろ病名をつけろと指導されてきました。

また、比較的多めの出血があるような場合には、入院管理とすることもありました。保険診療の枠内で入院させて管理を行うにあたっては、病名がなければなりませんので、やはり便利なこの病名が使われます。病院では、お産が集中する時期もあれば、しばらくお産の件数が少なく推移し、空床が目立つようになってしまう時期もあります。お産のために来院される方に入院していただくベッドが足りないと困るので、ある程度の病床数を確保している場合、しばらくお産件数が少ないと、空床がめだってしまいます。病院にも経営上の観点から空床をできる限りなくす必要があり、総合病院では診療科としての産科の病床利用率が低いと問題視されますので、なんとか病床を埋めるために、大した問題がない場合でも、妊娠初期に出血を主訴に来院された方を『切迫流産』の病名で入院させるということが、多くの施設で行われてきました。もともと大した状況ではないので、お産で混雑してきたら退院させることも可能です。このように、『切迫流産』の病名は、大変便利なものとして使われてきました。

妊娠初期の段階で出血が起こるケースは、実は結構あります。前にも述べたように、胎児心拍がはっきりと確認できている状態で、出血が起こったとしても、ほとんどの場合その出血は流産にはつながりません。現在では、もうほとんど流産との関連がないと考えらえているような場合でも、適切な保険病名が存在しないため、とりあえず『切迫流産』という病名がつけられることになっているのでした。

私は、この病名をなくした方が良いと考えています。『妊娠初期子宮出血』とか、何か適当な病名をつくって、少し心配な『絨毛膜下血腫』(これも程度によっていろいろと違いがあります)などと区別するなど工夫して、『切迫流産』という今となってはあまり現実的でない病名は廃止してしまった方が、余計な心配をすることが減ると思うし、子宮収縮抑制剤や止血剤などの無駄な処方も減らすことができるのではないでしょうか。