FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

実はかなりハードルが高い人工妊娠中絶(後編)

前回(実はかなりハードルが高い人工妊娠中絶(前編) - FMC東京 院長室)の続きです。以下の2つについて言及していきます。

3. 受け入れ施設のハードル

4. 社会的ハードル

 

3. 受け入れ施設のハードル

妊娠12週までの人工妊娠中絶を扱う施設は数多くあるのです(中には中絶を主要業務にしているクリニックもあります)が、実は妊娠中期になってからの中絶をおこなっている施設は、かなり限られています。

いくつかの理由があると思います。まずは、分娩施設や入院施設がないとできないこと。そして、扱う側も初期の処置と違って、労力を必要とします。

また施設の問題もあります。できれば普通のお産(おめでとうという言葉が飛び交い、赤ちゃんの泣き声が響く世界)と、中絶の方の入院する部屋や行き交う動線は分けたいけれども、施設規模や設計上なかなかそれが叶わないという事情もあります。

助産師さんたちが受け入れてくれないということも良くあるようです。助産師さんたちの中には、幸せなお産を手助けするために助産師になったのだという意識を強く持っている人がいます。中絶を受け入れられない思想を持っている人もいて、なかなかスタッフみんなの考えを統一することも簡単ではないようです。

そういったいろいろな事情から、妊娠中期の中絶を請け負ってくれる施設を探すのは難しくなります。ところが、妊娠中期に中絶したいというと、中絶できる場所は自分で探すように言われてしまうことが多々あります。妊婦健診をやっている医師たちも、どこへ行けば扱ってもらえるのか把握していないということもありますが、中絶希望の方に対して、実に対応が冷たいということは良くあることなのです。

お産と違って、評判などを聞いて選択できるような余地はありません。安心して処置を受けられるかどうかも全く未知数です。ましてや、麻酔を使用してくれるかどうか(基本的に中期中絶はお産と同じですので、麻酔をするとすれば硬膜外麻酔で、無痛分娩と同じです)など、希望を伝える余地もかなり少ないということになるでしょう。どこへ行けば安心して処置が受けられるのか、医者に聞いても全く未知数という状況になってしまうことが多いようです。

当院を開院する際にも、このことが悩みの一つでした。当院で色々と検査をした後に妊娠中絶を選択することになる方がやはりおられるわけですが、そのような場合に紹介してあげられる施設があるのか、安心してお任せできるドクターはおられるのか。幸いにして現在複数の信頼できる施設及び医師と連携が取れており、ありがたいことだと思っています。

 

4. 社会的ハードル

社会的ハードルというのは、主に制度の問題です。日本では基本的に妊婦さん自身に病気がない場合、妊娠の管理やお産には健康保険が使えません。これは妊娠中絶の場合も同じです。全て自費診療となるわけですが、その代わり出産後には出産育児一時金というものが支給される仕組みになっています。

この出産育児一時金の制度ですが、健康保険の制度上の出産であれば受け取ることができます。それはどういう場合かというと、「妊娠85日(4か月)以後の生産(早産)、死産(流産)、人工妊娠中絶」と規定されています。つまり、妊娠中絶であっても妊娠85日(4か月)(これは産科診療の現場での言い方でいうと12週)以降であれば、出産と同じ扱いで一時金を受け取ることができます。このこと自体は良いのですが、この出産一時金を受け取るということはつまり、産後休暇を取得することになります。

産後休暇を取ることは労働者の権利で、雇用主はお産の翌日から8週間取得させる義務があります。6週間の後は、医師が認めた業務に限定して就業可能となりますが、6週間までは、本人が希望しても就業させられません。休暇を取らせることは、雇用主の義務なので、これに反して仕事をさせると、労働基準法違反ということになってしまいます。

このことは、産後の回復のことを思うとありがたい制度ではあるし、人工妊娠中絶といってもお産と同じ方法の上に、精神的なダメージからの回復にも時間を要するかもしれませんので、そのことを考えると良いことなのかもしれません。しかし、満期まで成長した赤ちゃんのお産とは違って、妊娠中期の胎児の分娩は、体の回復も早いし、赤ちゃんがいない分育児もないので、妊娠満期の出産と育児を想定して設定された制度をそのまま適用するのは、無理があると思います。

それに、例えばバリバリ仕事をしているキャリアウーマンで、ある程度責任ある立場にいるような場合、そして年齢も高くて胎児に何らかの異常があることを心配して検査をお受けになる方の場合、職場の同僚や周囲の人たちにはまだ妊娠していることを話していない場合もあります。あるいは妊娠していることは知られていても、出産はまだまだ先だという認識は浸透していることでしょう。そんな中で、突然6週間の休暇を取らなければならなくなることは、全くの予定外のことと言えます。妊娠を周囲に知らせていなかった人にとっては、このタイミングで妊娠していたことや、流産に終わったことを周囲に知られることとなります。妊娠中絶を選択をするということが、知られたくなかったプライバシーを周囲に公開することにもつながるのです。

妊娠した人みんながみんな、順調に経過して元気な赤ちゃんを出産するわけではないのに、そのことを前提に制度が作られていて、それ以外のイレギュラーなことはあまり想定されておらず、無理やり当てはめている状態です。制度にもう少し柔軟性があれば、知られたくもないし、知らせる必要もないプライベートな領域のことについては、限られた人たちの間の事柄にとどめておくこともできるであろうに、このような状況は、制度の不備という以外にないと思います。

 

このように、胎児になんらかの問題が見つかったことをきっかけに妊娠中絶を選択するには、いくつものハードルがあって、ただでさえ辛い選択をより辛くするような形になっています。出生前診断後に中絶を選択することについては、「安易な選択」に走っているように捉えられがちで、軽い気持ちで良くないことをしているかのように思われている部分も多いのではないかと思いますが、決してそうではないことをよく認識してもらいたいと思います。

昔と違って、産科診療の現場では、超音波診断装置の性能の向上によって、妊娠のごく早い時期から胎児が動いているのを確認できるようになってきました。妊娠12週ぐらいになるともう全体的にはすっかり人間の形をしていて、4D超音波ではかなりリアルに体や手足を動かしていることが観察できるようになっています。妊婦さんたちはそのような映像を見て、そこには命が宿っていることを実感しているし、そういう姿を見て愛おしい気持ちも芽生えます。一方、この技術によって、例えば大きな臍帯ヘルニアや、手足の関節の拘縮など、専門家でなくても視覚的に理解できる形態異常を胎児が持っている情報を共有することが可能です。妊婦さんたちは、産科外来でそういう経験を経た上で、色々な葛藤を超えて選択をするのです。世の中にはそういう事実を知らずに、短絡的に中絶を選択しているというイメージで語っておられる方が、多いのではないでしょうか。妊婦さんたちが直面している現状により多くの目が向けられること、妊婦の診療の現場をもっと知っていただくことが必要だと感じています。