FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

妊婦さん自身にはなくても、周囲にはあるかもしれない“安易な中絶” (1)

先日、日産婦の理事会でNIPT(マスコミの言う“新型出生前診断”)が臨床研究を終了して一般診療になることが決定したことに関連し、以下の記事を書きました。

NIPT(新型出生前診断)、今後の実施体制は? - FMC東京 院長室

この中で紹介した、記事

新型出生前診断を考える 専門家の見方は:朝日新聞デジタル

内で、室月医師が述べている「安易な中絶などない」という意見、私もそう思っているし、大事な指摘だと思います。妊婦さんが中絶を選択したことについて批難するような論調で語る前に、それを決断し、実施するまでの心の葛藤、中絶後の喪失感や悲しみといった感情についても、考えを向け、理解してあげるべきだと常々思うのです。しかしその一方で、どうも妊婦さんをとりまく周囲の人たちに、「安易」という表現が正しいかはわかりませんが、意外と簡単に中絶を勧める人がいる現状があるようなのです。

先日、妊娠のごく初期の段階でNT(胎児後頚部透亮像)の肥厚を指摘されて当院で検査をお受けになった後に、妊娠を継続しておられる方が来院されました。NTについては、以下の過去記事を参考にしてください。

drsushi.hatenablog.com

この方のお腹の中の胎児のNTは、単純にいうとかなり厚い方で、そのような場合の半数は、より“むくみ”が進行して胎児死亡に至るほどの程度のものでした。しかし、超音波検査ではその“むくみ”以外にはそれほど明らかな異常所見がなく、引き続いて行なった絨毛検査でも染色体異常は見られませんでした。この結果を受けて、その後も妊娠を継続しつつ、超音波検査によるフォローを続けていかれることになりました。そして、妊娠中期の超音波検査を受けに再来院されたわけです。

妊娠中期の超音波検査では、胎児の頭のてっぺんから足の先までくまなく観察します。この結果、少なくともこの時期の超音波検査で確認される特別な異常所見は何も見当たりませんでした。これまでの報告では、NTがある程度厚かった場合でも、それが3.5mm未満だった時には、染色体異常がない事が確認されたあと、妊娠中期の詳細な超音波検査でも異常が見られなかったなら、問題のない胎児だと判断可能であるとされています。3.5mm以上であった場合には、その厚さの程度が大きいほど、なんらかの問題が後になって見つかる可能性も徐々に増加すると言われていますので、妊娠中期の超音波検査を無事に通過しても、100%の安心につながるわけではありませんし、その先元気に生まれてきてからも、何か発達の遅れなど症状が出るのではないかと常に心配は拭えないでしょう。しかし、それは胎児期に何も指摘されていなかった赤ちゃんでも、どんな子どもでも同じことともいえます。子育てとは結局そういうもので、誰にいつ何が起こるかは、厳密にはわからない。だからせめて今わかる範囲で、安心材料を増やし、不安材料を減らしていくしかないのではないかと考えています。

さて、しかしこの妊婦さんご夫婦が、この中期超音波検査に来院されるまでの妊婦健診では、健診を担当する医師に以下のようなことを言われたそうです。

「よく検査を受ける気になられましたね。」「あれだけむくんでいたら、何かしら問題があると考えて、妊娠継続を諦める人も多い。」

これは褒め言葉のつもりで仰ったのかもしれないし、あるいはそれまでそのようなケースを見たことがないので、単純な驚きが口をついて出たのかもしれません。しかし、医師にはプロとしてこういう言葉は発して欲しくなかった。言われた側はどうとるでしょうか。医者から見ても無謀な賭けをしていると言われているようなものです。言葉の端々に、「自分だったら中絶してるな。」という考えが透けて見えます。

実は以前にも同様のケースに遭遇したことがあります。その方は、はじめにNTの肥厚が発見された時、内診台の上で経腟超音波検査を受けていました。カーテンの向こう側で若い医師がおそらく先輩医師と思われる人を呼んでアドバイスを求め、超音波診断装置の画面を見ながらの会話が聞こえてきたそうです。「これは厚いねえ。」「これだけ厚いと、何かしらあるよね。」という内容だったといいます。診察後の説明では、結論づけるような話はなく、よく調べた方が良い、経過を見ていく必要があるなどの内容だったようで、それは間違ってはいないのですが、何かしらあると言われて希望を捨てずに経過を見ていけるでしょうか。

これらの発言は、医師の無知に基づいている部分もあります。わが国では、スクリーニング検査としてのNT計測が積極的に行われてこなかった歴史があり、医師も計測方法や評価方法について教わる機会がなく、主に海外の資料をもとに自力で学ばないと、これに関する知識や技術を身につける方法がありませんでした。このため、NT肥厚の評価に関する情報は浸透していない現状があるのです。

妊娠中絶の選択は、そう簡単なものではありません。しかし、医師に悲観的な見通しを告げられたら、それを乗り越えて頑張ろうという思いを貫くことは容易ではありません。その上、妊婦さん自身は自分のお腹の中に宿している胎児の命への思いが強くても、周りの人はそれほどではありません。医師がたとえ絶対的な結論を出していなくても、悲観的な言い方を捉えて、「ああ言っているのはやっぱり、胎児に問題があるに違いないのだ。」と考え、妊婦さんに中絶を勧めることに繋がります。周囲の意見を押し切って、妊娠を継続することを選べる強さをどれだけの人が持っているでしょうか。

妊娠中絶を勧めるセリフは、実はたくさんあります。まだ胎動を感じていない時期なら、「今のうちならまだ傷は浅くすむ。」「自分の体の負担も考えたほうがいい。」とか言えるし、若い妊婦なら「今回は諦めても、次があるんだから。」、年配の妊婦さんでも、「まだまだチャンスはある。」などと、励ますこともできます。不思議に思うことは、妊娠中絶そのものは罪悪のように捉えられていたり、否定的に考えられたりすることが多いのに、実は妊娠中絶はそれなりの数行われていることはなんとなく皆知っていて、いざ生まれてくる赤ちゃんに異常がある可能性を告げられると、家族には中絶を勧める、それも良くあることでしょという感覚があるように感じられることです。

この国には、普通に暮らしている多くの人々の心の中に、妊娠中絶に関するダブルスタンダードがあるように思います。それには、妊娠中絶について、なるべく表に出さないで陰で事を処理しようとする姿勢が浸透していることが関係していると思うし、もっと言うと、母体保護法のあり方に曖昧さが残されていて、まるでダブルスタンダードがあることが前提になっているとすら言える状態であることも影響しているのではないでしょうか。