FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

緊急シンポジウム みんなで話そう 新型出生前診断はだれのため? に参加して

2019年8月11日に、東京・両国の江戸東京博物館会議室で開かれた、「緊急シンポジウム みんなで話そう 新型出生前診断はだれのため?」に参加しました。

主催:8/11「新型出生前診断はだれのため?」東京集会実行委員会

共催:グループ生殖医療と差別、DPI女性障害者ネットワーク、京都ダウン症児を育てる親の会、神経筋疾患ネットワーク、DNA問題研究会、SOSHIREN(わたし)のからだから、フィンレージの会、ゲノム問題検討会議、ハイリスクな女の会 Beyond

3名の講演者が演台に立ちました。

 はじめの講演者は利光恵子さん(立命館大学生存学研究所客員研究員)
優生保護法が含有していた問題点とその思想的背景からはじまり、羊水検査や母体血清マーカー検査から始まってNIPTに至る検査の取り扱われ方、NIPT導入の流れの背景説明がありました。

 優生思想と結びついた出生前検査・診断の開発の歴史を踏まえて、障害者団体や女性団体の考え・アプローチとそれに対峙する医療界の対応や主張を整理して紹介していただきました。ただ、残念に感じたことは、これらの検査についての捉え方やそこに存在している問題点については、わりとよく語られる文脈の中にあり、新たな気づきがなかったことです。もう少し掘り下げて考えて欲しいというフラストレーションが溜まる内容でしたし、出生前検査の現場にいる人間から見ると、そこにあるいろいろな事例や問題点をもっと知って欲しいと感じました。出生前検査・診断に関わる問題に興味を持った際に、いろいろと調べるとわりと手に入れやすく、かつ多く出回っている情報を拾い集めた印象が強く、そういった情報のみに基づいて議論を進めてしまうと、本質を見誤る危険性があると感じています。当事者の中にも様々な考えの違いがあり、医療者の中にも考えの違いが存在するので、単純な対立関係として語ることは、日本産科婦人科学会の指針作成の中心的立場の人たちが実際の現場感覚を欠いているように感じられると同様に、出生前検査・診断の広がりに否定的な意見を持って活動している人たちもまた、今実際に妊娠し現場で葛藤している人たちの状況をわかっておられるとは言い難いような感じがしました。

 2番目の講演者はNPO親子の未来を支える会代表で産婦人科医の林伸彦さんでした。彼は、産婦人科医として、医療者としての立場から、出生前検査・診断の議論を行う際にNIPTだけに限定して考えるのではなく、出生前検査全体を見てもらいたいという立場をまず明らかにしました。そして、例えば日常的に行われている超音波検査も出生前検査の一つである事実、現行の抑制的な指針に基づくと胎児に何かが見つかっても追求したり治療を考慮したり、それ以前にそのことについて説明したりすることすらできないこともあるという現状と、そんな中で妊婦・胎児の診療を行っている立場での葛藤の存在について、一つ一つ例を挙げてわかりやすく丁寧に説明してくれました。また、NPO法人の様々な取り組みについての説明もありました。出生前検査・診断に対して拒否感や嫌悪感を持っている人たちにも、そういう側面があるのかとわかっていただけるよう、よく考えて準備された話の内容をうまくまとめて来られたと感じました。その場に集まっておられた方の多くは、こういう話はそれまで聞いたこともなかったのではないかと想像され、驚かれた方も多かったのではないでしょうか。しかし、出生前検査やそれを積極的に推進しようという考えの産婦人科医という存在に強い拒否感を持った方には、どのように話をしてもなかなか受け入れられないのだろうなという空気も感じました。彼の話が、少しでも出生前検査に対する見方を変えてもらえるきっかけになってくれることを願ってやみません。

 3番目の講演者はノンフィクションライターの河合香織さんでした。ご著書「選べなかった命ー出生前診断の誤診で生まれた子」の取材過程や内容に沿って、出生前診断にまつわる問題点としてお感じになったことを中心に据えたお話でした。お話の中で、女性の自己決定というけれど「自己決定させられている」という立場があるのではないか、「選択しない権利」が認められても良いのではないかという意見開示があり、これらの言葉が印象的でした。とくに、自己決定「できる」ことの大事さとそれが能わないことの不自由さについて常々考えている私にとって、「させられる」という視点はなかったなと感じました。ただ、「選択しないことを選択する」という立場は、その時には受け入れてあげることも必要なのだろうと思う反面、じゃあ誰が決めるの?その決定についてどう受け入れるの?という疑問が湧きます。その先どのように生きていくのかを考えたときに、自分で選択しなかったという事実は、それはそれで大きな重荷として背負っていかなければならなくなるのではないかと考えてしまいます。できることなら、幼少期からの教育によって、自分で選択する・できるように育てていく文化を醸成していくことが望まれると感じました。

 その後、会場に来られているいろいろな立場の方(各種団体を代表されている方々)からの意見開示がありました。

 全体を通して強く印象に残ったことは、『出生前診断』というワードそのものに強い反発を持っている人がそれなりの数存在しているということでした。その根底には、『優生保護法』のもと、排除される立場に置かれてきたということへの根強い恨みのような感情、施策者や医師へのぬぐい去れない不信感があるようでした。そしてその当時の排除の論理「不良な子孫の断種」の時代に後戻りすることだけは決してあってはならないという思いが強く感じられました。

 私たちはそういう思いを受け止めつつ、しかし、『出生前診断』は排除の論理を実践するためのものでは決してないということを、丁寧に伝えていく必要があると感じます。ある種生理的とも言えるような強い反発を持つ人たちでなくても、一般の人たちの間にも、『出生前診断』というと異常を発見して中絶することが目的と単純に考えている人が多いように思います。今回林伸彦さんがお話ししたような事実を、この分野の医療に携わる人間は、もっと多くの人に伝わるように情報発信していかなければならないと思いました。

 一方で、過去に被害にあってきた方達や、今も差別に苦しむ人たちには温かい目を持ちながら、しかしその強い主張を無条件に受け入れるのではなく、冷静な判断をしていくことも必要です。『出生前診断』を『悪』のように捉える頑なさに対して、どうそれをほぐしていくことができるかを実践していかなければなりません。どうしても理解してもらえない時には、対峙していかなければならないでしょう。

 例えば、網膜芽細胞腫の罹患当事者が妊娠出産を考える際に、着床前診断を希望しても日本産婦人科学会がこれを認めないという事例に対して、当事者団体とともに要望書を提出するなどの支援に関わっていると、難病の当事者が、「自分たちは幸せを感じながらpositiveに人生を送っているのだから、自分たちと同じ病気を予め調べて生まれてこないようにすることは許せない。だから出生前診断の普及は絶対に止めるべき。」と強く主張されることについて、違和感を感じざるを得ません。当事者の方々がどのような思いで生きてこられたのか、想像するにあまりあることだとは思います。だから、当事者の立場で強い主張をされた場合、これに反論することは憚られます。しかし、どんなに嫌な思い、辛い思いをされてきたとしても、同じような境遇におられる別の立場の方々の存在についても想像力を持ってもらえないものでしょうか。反射的に反応するのではなく、一度じっくりと広い範囲を見渡してもらえないでしょうか。

 障害を持つ方々が、社会の不寛容に苦しんでこられたことは理解します。そこで是正しなければならないことは、もっと寛容な社会に変えていくことだと思います。自分たちの存在を否定されるのは許せないから、出生前に診断することは許されないという考えは、逆の不寛容なのではないかと感じます。さまざまな病気、さまざまな問題を抱えている人が、この社会を構成しています。それぞれ別々の立場から、いろいろな考えに基づいて意思決定しておられます。そういったさまざまな考え、意思決定は、自分の考え方とは一致しないことも多いだろうし、理解の範囲を超えることもあるかもしれません。しかし、それらはそれぞれの方々にとっては大事な価値である可能性があります。私たちは、自分の考えと違ったものでも耳を傾ける必要があるし、どうしても揺るがすことのできない信条を侵すものでない限り、受け入れる準備が必要だと考えています。そして、どうしても揺るがすことのできない信条に反するものに対しては、否定するのではなく、自分には受け入れられないことの説明と意思表示を行い、自分とは別の対応してくれる場所へ誘導するべきでしょう。

 今回のシンポジウムは、参加者の方もおっしゃっていましたが、「みんなで話そう」というところが良かったところで、ある一方向からの意見を持つ人たちだけで固まるのではなく、さまざまな立場の意見を聞こう・話そうという姿勢が前面に出ていた良い企画であったと思います。そんな中でも、出生前検査に生理的に反発する方々が、数多く確実に存在することをヒシヒシと感じさせられる会でもあり、出生前検査を希望してこられる方々とばかりお話ししている日常とのギャップを感じざるを得なかったことは事実です。半日の日程でしたが、午前中から日差しの暑い一日だったこともあって少し疲れました。