FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

NIPT等の出生前検査に関する専門委員会(第2回)が開催されました。ー妊婦という隠れたマイノリティの存在について

表題の会議が、20日金曜日に開催されました。

 このところ学会などもあっていろいろと忙しくなっており、リアルタイムで会議の様子を視聴することは叶わなかったのですが、資料が公開されていますので、ざっと目を通してみました。感じたことを整理しておきたいと思います。

 資料は以下で見ることができます。

NIPT等の出生前検査に関する専門委員会(第2回)の資料について

 

 出生前検査に関して、国としての議論は第1回の記事でも書いたように、21年の間隔が空いていますが、この問題に関しての議論そのものは、実はかなり以前からいろいろな場所で何度も行われています。しかし、少なくとも私が医師として関係してきた約30年ほどの期間、あまりかわり映えがしない印象です。ずっと平行線を辿っているというか、前に進んでいる感じがしません。特に、胎児をしっかりとみて問題がないかを確認している立場、及び、自分のお腹の中にいる胎児に問題がないかどうか心配している妊婦さんの立場から見て、新たな技術の研究や実用化が進む海外のように検査を行うことができる世の中になるビジョンが見えません。

 なぜ、いつも前に進まないのか。その原因として、どうもこの問題に関する議論の焦点が定まっていないということがあると思います。

 どういうことかというと、出生前検査・診断の問題には、大まかにいうと以下の二つの側面があります。

・個々の妊婦さんが、健康な児を産むことができるのかという不安を抱えている、医療の問題。

・病気や障碍をもって生まれてきたり、生活を続けていく人たちの権利、福祉の問題。

 この二つの問題がミックスされているので、すごく幅を持った議論となっていて、焦点を定めにくいのです。そして、全体像としては、単に出生前検査そのものの議論とはならず、その先にある人工妊娠中絶や出産・育児の問題、差別の問題など、議論しなければならないことが複数あり、そのどれもが簡単には解決しない問題なのです。出生前検査の普及に反対する立場の方の一部は、これらが解決しない限り、出生前検査は積極的に行うべきではないという意見をお持ちのようですが、そうするとおそらく、いつまで経っても出生前検査を普及させることはできません。むしろ、現実的にはどのように普及させることが最も良い方法で、そのためには最低限ここは解決しておくというポイントを決めて、話を前に進めるべきでしょう。

 今回専門委員会のメンバーに含まれている方々から提出されている資料を拝見していても、この二つの問題の絡みの難しさが感じられます。出生前検査・診断について議論するのに、(立場上そうなってしまうのは仕方がないのかもしれませんが)どちらか片方に寄った話から論を進めようとすると、本来議論すべき問題が別にある話なのではないかと感じます。

 おそらく、もっと議論しなければならない対象は、「刑法堕胎罪と母体保護法のありかた」であり、「障害者差別解消法の啓発と運用」であり、「自治体の福祉施策」「性教育とリプロダクティブヘルス・ライツ」「産科診療のあり方と医師のコミュニケーションスキル」などのはずなのです。今回の委員会で話題に出ているもののいくつかは、本来はこれらの問題に関するものであり、出生前検査・診断にこれらの問題の皺寄せを持ってこようとするから、なんだか議論がずれてしまうし、その皺寄せが全部妊婦に来てしまうのです。そもそも出生前検査・診断の対象は、イコール将来「障害者差別解消法」の対象になる人というわけではありません。一般的な医療に当てはめて考えると、病気を見つけてこれを治療することが目的なのであって、しかし中には治療しきれないものがあり、その結果障碍が残るのです。もし検査・診断の対象の全てが治療を前提としたものであるならば、誰も異論を挟まないであろうところ、一部が人工妊娠中絶の対象となるから問題視されるわけです。これを問題視することが、治療を前提とした検査・診断まで制限することにつながってしまうことは大きな問題です。だから出生前検査・診断を規制しようという話ではなく、人工妊娠中絶のあり方をきちんと議論するなどが本題のはずなのです。

 第1回の記事でも言及しましたが、どうも専門委員会のメンバーにやはり一般的な妊婦の代表のような立場がないことが気になります。「専門」委員会だから専門家だけを集めたのでしょうか。必ずしもそうではないように思います。前記した二つの側面のうちの後者を中心とした意見をお持ちの方は複数選ばれているけれど、前者の意見に沿う立場の人やその当事者は存在しません。妊娠は一時的なものですし、出産後はまた別の様々な問題に向き合わなければならないので、「一般妊婦代表」のような人は存在し得ないという難しさがあり、どうしてもバランスが悪くなってしまっている印象が拭えません。唯一、河合蘭さんの提出資料が、その立場を反映していて貴重な情報になっていると感じられました。

 いつも思うのは、マイノリティとマジョリティの扱いの難しさです。マジョリティの意見ばかりで物事を進めてしまうと、マイノリティの立場は顧みられなくなる恐れがあり、マイノリティの人たちは常にこの恐れに晒されています。だから、マイノリティの意見を傾聴し、反映させることは大事なことです。マイノリティに属する人たちは、自分たちの意見が反映される機会があれば、がんばって注力します。

 出生前検査・診断の議論においては、社会の中でのマジョリティに対して、障碍のある人たちはマイノリティとして扱われ、立場や主張を開示する機会を与えられます。でも、実は障碍を抱えた人たちがマイノリティとしてマジョリティに対峙する場面は、本来は社会福祉の議論のはずで、この舞台であるならばわかりやすい二項対立にすることが可能です。これに対して、出生前検査・診断の議論においては、もう一つの隠れたマイノリティである「妊婦」という立場が存在します。「妊婦」は、出生前検査を希望すれば「命を選別しようとするよくない考えを持つ人」のような扱いを受け、人工妊娠中絶では心身ともに傷つき、情報不足の中自分が産み育てていく胎児についての心配を抱え、しかし大きい声をあげることができない弱い立場に追い込まれています。ここにもっと焦点が当たらなければならないと考えています。