先日、朝のNHKニュースで、早産児の生育限界についての話題が放送されていました。
変わる? 赤ちゃん“命の線引き”|けさのクローズアップ|NHKニュース おはよう日本
未熟な状態で生まれてきた赤ちゃんが、医療の進歩によって、しっかりと生きていくことができるようになるということは、素晴らしいことだと感じます。
このようなケースがきっかけとなって、胎児の生育限界という基準が前倒しになることは、まさに医学の進歩を反映した成果といえるでしょう。
一方で、私が懸念することは、人工妊娠中絶を可能とする時期の設定の議論に繋がってしまわないかということです。
このニュースのタイトルで使用されている言葉、“命の線引き”という表現が、問題の難しさを物語っているように思います。
明確な線引きが可能なのか
そもそも線引きを〇〇週〇日という時期によって決めるということは、妥当なのでしょうか?
早産にはいろいろな理由があります。予定外に早く破水してしまった場合、予定外に早く子宮頸管が軟化して開いてきてしまった場合という子宮の問題の場合もあれば、母体の合併症のために妊娠を継続することが難しくなる場合もあります。一方、胎児の発育が停滞してしまい、子宮の中では育たなくなってしまっていると判断される場合や、胎児の状態が悪化して、そのままでは仮死から胎児死亡に陥る恐れがあると判断される場合もあります。大まかにいうと、妊娠を継続することで母体がもたなくなる『母体側要因』と胎児がもたなくなる『胎児側要因』に分けることができます(双方が重なることもあります)。
胎児は問題なく発育しているけれども、母体側の要因のためにこれ以上妊娠を継続させることは望ましくないというような場合であれば、たとえ妊娠週数が早くて胎児がまだ未熟であったとしても、医療の進歩がそれを補うことが可能になれば、生育限界を前倒しすることが可能でしょう。しかし、もし胎児の発育がその時点ですでに停滞していて十分な体重がなかったとしたら、あるいは胎児になんらかの疾患があって、単に未熟児の生存のための治療だけではなく外科的な処置(手術など)を必要とする状態であったなら、その時点まで全く順調に発育してきた胎児と同等に扱うことは不可能です。
線引きの根拠となる分娩予定日の決定は正確なのか
放送の中で、21週6日で生まれてきた女の子が取り上げられていましたが、「22週未満なら救命しない。」と告げられていて、「本来なら救命されないはず」だったとのことですが、その1日の違いにどれだけの差があるのでしょうか。
分娩予定日の決定は、不妊治療による妊娠の場合には、受精後何日めの胚をいつ母体内に移植したかによって、かなり明確かつ厳密に決定することが可能です。しかし、自然妊娠の場合はどうでしょうか。一般に自然妊娠の場合、最終月経から分娩予定日を計算して決めます。この計算は、月経周期が28日型と仮定して(この場合排卵日は最終月経初日を1日めとして14日めになるはずと考えて)、おこなわれます。しかし、月経周期は人によってまたその月によって多少の違いがありますので、この計算ではずれが生じることがあります。中には月経周期が全く安定しない人もいるので、推定(計算)が難しい場合もあります。このずれは、胎児の大きさを確認して修正します。
現在、日本産科婦人科学会のガイドラインに記載されている修正方法は、妊娠8週から11週の時期の胎児頭臀長をもとに行うことになっています。頭臀長の計測値から割り出された妊娠週数から分娩予定日を決定することになるのですが、現在の決まりでは、頭臀長から計算した予定日と、最終月経から計算した予定日との間のずれが一週間以内であった場合には、修正を行わず、最終月経からのものを採用することになっています。これは、計測値にはある程度の誤差が伴っていることや、胎児の大きさにも多少の個人差があることも考慮した上で、妊娠管理上、数日のずれは大きな問題にはならないという判断になっています。要するに全員についてきっちり正確に決めることは不可能という考えがあるわけです。実際、私たちのクリニックに検査に来られる方々の分娩予定日の決められ方を見ると、超音波による胎児頭臀長の計測がどうみても不正確だと思われるケースも多々ありますし、妊婦さんの月経周期や、性交渉の日にちについてなどの情報を反映していない(おそらくあまりよく確認していない)ケースも見られます。
このように、分娩予定日というものは、けっこう曖昧な部分があるのにも関わらず、21週6日と22週0日の間に壁を作ってしまうことは適切なのでしょうか。またこの壁を前にずらそうという考えを受け入れて良いものでしょうか。私は大いに違和感を感じます。
なぜ時期によって線引きを行おうとするのか
そもそもなぜ、妊娠時期によって線引きをしようとするのでしょうか。
それは、新生児科医にとっては、流産として扱うか治療対象と見るかの判断が必要になるからです。そして、同時に人工妊娠中絶を行うことができるかどうかの線引きにもまります。
母体保護法第2条(2項)には、こう書かれています。
2 この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。
この条文が刑法上の堕胎罪に問われるかそうでないかの基準となるのですが、では、生命を保続することのできない“時期”とはいつなんだ?という話になるわけです。
最初に記載したNHKニュースサイトのリンク先の記事を見ると、『国は法律で、妊娠期間がどれくらいあれば生まれてきた赤ちゃんが生きられるのかを示す「生育限界」を定めていて』との記載がありますが、そのような法律はありません。
では何によって定められているかというと、それは『厚生事務次官通知』です。平成2年3月20日、厚生省発健医第55号、厚生事務次官通知において、『優生保護法(当時)第2条第2項の「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」の基準は、通常妊娠満22週未満であること。この時期の判断は、個々の事例について優生保護法第14条に基づいて指定された医師によって行われるものであること。』と記されています。
ここで注意すべきは、この22週という数字はあくまでも基準であり、通常と書かれていることだと思います。実際に法を運用する際には、母体保護法指定医が個々のケースについて、基準に基づきつつ、指定医としての専門的視点から判断するものであるのです。
人工妊娠中絶の定義(日本産婦人科医会の提言より)
だから、本来は、治療を行うか否か(新生児科医)、中絶手術を行って良いのかどうか(産婦人科医)の判断には、ここのケースごとの判断があって良いはずなのに、きっちりと線引きを行うことを望むのは、判断を人に委ねようという自信のなさの反映でもあると思います。
今後、線引きをどうすべきか
リンク先の記事にもあるように、線引きの決め方についてはいろいろな視点からの議論があります。今のような運用のされ方だと、線引き自体が大きな意味を持ってしまいますので、慎重に進めていかなければならないでしょう。
私は、むしろ、このような線引き自体をなくしてしまった方が良いと考えます。基準が明確にされると、人は(特に日本人は)その基準に縛られがちです。あるいは、一定の目安としての時期の設定はあっても良いが、それが絶対的なものという扱われ方にはならないようにすべきだと思います。「その時期に達していなければ、絶対に治療は行わない」とか、「その時期以降は絶対に中絶はできない」といったような頑なな姿勢は正しい判断だとは思えません。この判断を行う医師たちが、個々のケースに向き合って、必ずしも数字に縛られずに専門家としての判断をしっかりと行うことができるようになるべきだと考えています。