FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

検査は『安心』につながるのか

先日来、新型コロナウイルス感染を調べる目的でのPCR検査の行われている件数や体制のあり方など、マスコミで話題になることが多く、検査の拡充を求める声が上がっていたようですが、医療関係者の側では慎重論も多く、TVなどでの情報拡散に対しては問題の本質がよく理解されていない印象を持っていました。このことについては、いろいろな専門家が意見を発しておられますので、参考になるものもお示ししつつ、同じような問題を孕んでいるように思われる出生前検査についても考察していきたいと思います。

 

 間もなくプロ野球が開幕するということで、各球団が安全対策として選手やスタッフを対象に、新型コロナウイルスの感染の有無を調べる目的でPCR検査を実施しているようです。でもこれ、本当にやる意味あるのでしょうか?

神戸大学・岩田教授のインタビュー記事です。

 PCR検査、ほとんどテレビを見ないので、そんなことになっているとは知らなかったのですが、テレビに出ている自称“専門家”の人たちの中には、かたっぱしからやるべき的な主張をする人がいて、市民の皆さんも検査で確認することに大きな意義があると考えている人が多いようです。私の知り合いの医者は皆、この風潮に危機感を持っていて、何でもかんでも検査をやりたがる『PCR信者』の人たちとの深い溝をなんとか埋められないものかと頭を悩ませていますが、そんな中、なんと厚生労働省から、無症状の妊婦さんが検査を希望した場合に公費補助を行うという方針が示され、各自治体に案内が送付されているようです。

「寄り添い型支援」及び「不安を抱える妊婦への分娩前検査」の実施方法等について

不安を抱える妊婦への分娩前検査」と謳っていますが、これが本当に不安解消に役立つでしょうか。宮城県立こども病院産科部長の室月淳さんの記事を参考にしていただきたいと思います。

 この件について、別のところでも、室月先生含め議論の俎上にのっているのですが、少なくとも言えることは、

・もし陽性が出たら、無症状でも感染者として扱われるので、不安の解消には全くならないどころか、専門施設に転院し、帝王切開となる可能性が高くなる(実際には感染していない偽陽性かもしれないが、そこは判断できない)。今後発症する心配も生じる。現時点で特効薬など特別な治療法はない。

・検出感度が40〜70%なので、偽陰性がありえるため、正確な情報に基づいて得られる安心とは言い難く、偽陰性の場合にはその後発症したり他人への感染力を持つ可能性があるので、予防的方策足り得ない。

以上より、いったい誰のための検査なのか、よくわかりません。特に日本では、感染者の割合はかなり低いわけですから、本当に陽性の人は少ないだろうし、感染していないのに偽陽性が出てしまったら、面倒なことになるしで、妊婦さんへのメリットがあるとはとても思えないのです。

 これがもし、せめて「不安を抱えて分娩を取り扱う医療従事者のため」というならまだ少しはわかるような気もするのですが、そうであったとしても、偽陰性の可能性を考えると、全例に基本的感染対策を講じることには変わりはありません。

 昨日(6月20日)の報道でも、東京都や神奈川県の助産師有志が、5月に妊婦へのPCR検査の実施を求める要望書を加藤勝信厚労相あてに提出したとか、今月3日にも、すべての妊婦へのPCR検査実施を求める2140筆の署名が内閣府厚労省に提出されたといった記事が出ていました。

「陽性」判定なら帝王切開も 妊婦が悩むPCR検査 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 しかし、この要望は、誰のためのものなのか。妊婦さんたちにとって、この検査を行うことが本当に望ましいことなのかについて、しっかり議論されたのでしょうか。こういった声が高まって、厚労省も動かざるを得なくなったのでしょうか。

新型コロナの抗体検査を希望する妊婦さん

 先日も、当院を受診された妊婦さんで、『とても心配症』という方がおられ、いろいろと話を伺っていると、あまりに心配なので、かかりつけのクリニックで自費で『新型コロナウイルスの抗体検査』をお受けになったとおっしゃっていました。結果的に陰性だったので「安心した。」とおっしゃっていたのですが、なぜ、何を『安心できた』のか?私にはさっぱりわかりませんでした。

 なぜなら、抗体陰性ということは、ウイルスに対抗するものがないことを意味しているので、今後、感染のおそれが十分にあって、いつも感染しないように気をつけていなければならなくなるだろうと思うからです。

 では、抗体陽性だったらどうでしょう。典型的な症状も何もなかったのに陽性が出るということは、知らないうちに感染していたのか、偽陽性なのかのどちらかです。感染しても無症状で終わった場合、これまでの報告では胎児に異常が生じたケースはありません。また、抗体を持っているということは、そのウイルスには感染しないか、感染したとしても軽症で済む可能性が高い(血中でウイルスがすごく増えるという恐れが少ない)ので、抗体『陽性』判定が出たなら、むしろそのほうが安心かもしれません(ただし、現時点で抗体検査そのものの精度もまだ曖昧ですし、獲得抗体も3カ月ほどで効力を失うという中国からの研究報告もあるようです)。

 この妊婦さんがおかかりになっているクリニックの医師も、同じようなことを丁寧に説明しておられるようなのですが、それでもいいから検査して欲しいと言われることがあるそうです。前記した室月医師も、PCR検査を無症状の人に幅広く適用することについて、会議などでどれだけ一所懸命そのメリットがないことを説明しても、どうしても理解してもらえないと嘆いていましたが、何しろ検査で『陰性』という結果がもらえれば安心できるという思考になってしまう方が、一定数おられるようです。

本物の安心というものがあるのか?

 当院に来院される多くの妊婦さんが、ご自身のことを『心配症』であるとおっしゃり、『安心を得たいので』受診したとおっしゃいます。私はそのこと自体は否定しませんし、むしろそれが最も大きい受診動機となっているのだろうと理解します。やっぱり安心を得て欲しいとも思っています。診療、特に超音波検査の後に、「安心しました。」と言ってお帰りになるとき、「ああ、良かったな。」と感じます。しかし同時に思うのは、「それはホンモノの安心なのかな?」という疑問です。それから思うのは、私たちの行っている検査の目的は安心してもらうことなのかな?」という問いで、これらの問いに真摯に答を出すとするなら、前者は、「もしかしたら見せかけの安心である可能性がある。」であり、後者は、「本当の目的は、わかった事実を正確に伝えて、受診した人それぞれが自分なりの答を出すことにつなげる有用な情報としてもらうこと。」だと思います。正確にいうと安心には本物も見せかけもなくて、それぞれの人の捉え方でしかない。安心だと感じれば安心だし、まだ不安があると思えば、それはそれで仕方がない。不安も抱えながら、どうすればうまくより過ごしていけるか、どの程度まで不安が小さくなれば、普通に暮らしていけるのかが、“落とし所”となるのではないでしょうか。人は、不安になるものです。不安を消さなければならないわけではありません。不安を抱えていることも、不安になる自分も、それが自然なこととして受け入れつつ過ごしていくことが正解なのだと思います。

  検査と安心との関係、特に事前確率が低い場合の検査の陽性的中率の問題については、以下の記事でも触れていますので、参考にしていただきたいと思います。

  大事なことは、検査を過信しないこと、これさえやっておけば安心というような都合の良いものは存在しないことをよく知って、自分の置かれている状況に応じて何がベストかをよく考え、選択することです。同時に、はっきりわからないのならやっても意味がない、と切り捨ててしまうこともよくありません。

心配とどう向き合い、受け入れていくか

 当院で行なっている検査の中にも、その結果を確率の数字で表すものが存在します。このような種類の検査について、時々、「確率しかわからない。」というお医者さんがいます。また、検査をお受けになった妊婦さんにその結果の説明をした際に、「どう考えていいのかわからない。」という発言が聞かれることもあります。時には、「これは安心していい結果なんですよね。」と、確認されることもあります。それほど、確率の数字というものは、解釈が難しいし、イメージが湧きにくいものなのでしょう。

 しかしよく考えてみると、普段の生活の中でも、確率の数字を使って考えることは多くあります。最も身近なものは、降水確率(雨や雪の降る確率)でしょう。私たちは、この数字を漠然と捉えていますが、その日の行動や持ち物の判断には、この数字をあてにしている部分が多いと思います。よく話題に上るものとしては、旅客機が落ちる確率とか、自動車事故が起こる確率とかがあります。こういった移動手段には、100%の安全は望めませんが、その確率は極めて低いであろうという考えを受け入れて利用するわけです。日常生活で不測の事態(例えば上空から何かが降ってきて自分に当たるとか、信号待ちをしているところに車が突っ込んでくるとか)を全くゼロにすることは不可能ですが、注意はしつつも普段はそういった可能性についてはほぼ考えずに生活していることと思います。そういったことをほぼ考えずにいられるのは、自分にはほぼ関わりのないことのように思っているからで、悪く言えば無関心なのかもしれませんが、そこまでの関心を持たなければならないほどの高い確率ではないと、自然に受け入れているからではないでしょうか。

 よく言われることですが、何事においてもリスクをゼロにすることは不可能なのです。また、検査の精度を100%にすることも不可能です。そこには必ず何らかの不確定要素が存在します。でも、日常業務にしろ、検査方法にしろ、その精度を高めていくことは可能です。私たちは、その努力をしつつ、しかし一方で不確定要素が存在することを受け入れていかないと、生きてはいられないでしょう。

 「心配性」とおっしゃる方には、その『心配』が何に起因するもので、どういう種類のものであるのか、せめて立ち止まって見つめることをしてほしいのです。あれも心配、これも心配と、全て同じ心配にしてしまわないで、どの心配がどのくらい大きいもので、どの心配はそうでもないのか、検査を受けることによってそれがどの程度小さくなるのか、どの程度まで小さくできればあまりこだわらずに生きていられるのか、自分が普段気づきもしない生活上のリスクにも目を向けながら、そうやって自分は暮らしているんだと飲み込んでいってほしいと思っています。