FMC東京 院長室

                                                                  遺伝カウンセリングと胎児検査・診断に特化したクリニック『FMC東京クリニック』の院長が、出生前検査・診断と妊婦/胎児の診療に関する話題に関連して、日々思うことを綴ります。詳しい診療内容については、クリニックのホームページをご覧ください。

胎児の“むくみ”(あるいは、NT)について (2)

3月に入ってからもまだまだ寒い日が続いていますが、少しづつ日差しは春らしくなってきているような気がします。

さて、新年早々に、NTについての記事を公開しました

胎児の“むくみ”(あるいは、NT)について (1) - FMC東京 院長室

が、あいかわらず、“むくみ”を指摘されたという方からの問い合わせが続いています。

これを指摘された方々が、そこで説明された内容には、いくつかの傾向があるようです。

1. 胎児に染色体の異常(たとえばダウン症候群)がある可能性が考えられる。

2. 染色体の異常以外に、心臓の病気が見つかることもある。

3. ここでは専門的に見ることができないので、専門的に見てくれる医師のいるところを紹介する。

このなかで、3 を言ってくれるお医者さんは良心的だと思うのですが、そうでないお医者さんも多いようで、「少し間隔をあけて再検査(むくみが消えるかどうかをみていこう)」「つぎにやるべき検査として妊娠中期血清マーカー検査(クアトロテストなど)を考慮しましょう」という説明がなされていたりすることは困りものです。

上記の説明の中で、気になるのは、なんといっても 1 でしょう。

多くの場合、“むくみ”の指摘は、検査についての事前説明がないまま、通常の妊婦健診の流れでおこなわれているようです。唐突に胎児がむくんでいると告げられて、動揺しているところに、染色体異常(ダウン症候群など)といわれて、パニックになることも多いのではないかと想像します。説明する側も、ダウン症候群といえばわかりやすいと考えて、ダウン症候群と例に出して言うのでしょうが、一般の方は医師と違ってダウン症候群以外知りませんし、ダウン症候群もどういうものなのか具体的知識を持っていません。こういったことも、出生前検査の話題が出る際に、ダウン症候群のみが語られることとかなり関係しているのではないかと感じています。

さて、医師から「染色体異常の可能性がある」と告げられた時、人は一般にどう感じるでしょうか。他の状況から想像すると、たとえば医師が胃の内視鏡の画像を見て、「胃癌の可能性がある」と言った時など、もし私ならもうそれはほとんど胃癌だろうと感じると思います。おそらく皆さん、そんな感じではないでしょうか。

胎児に“むくみ”があると告げられて心配になった妊婦さんは、家に帰ってネット検索をします。ネット上には数多くの情報があります。しかし、ここにあるほとんどの情報は、不安を高めるばかりで役に立ちません。古いデータに基づいていたり、曖昧な表現にとどまっていたりするためです。医師がそのような曖昧な情報しか提供していないことも、このことに拍車をかけているように思われます。たとえば非常によく目にする(そして、妊娠初期の超音波検査をお受けになる方も気にしておられることが多い)情報に、「3mmがひとつの基準になっていて、これを上回ると、染色体異常の可能性が高まる」というものがあります。しかし、はっきり申し上げて、現在では3mmを基準としてものを語ることはありません。3mm以上あると染色体異常の可能性が◯倍といった種類の情報は、今から20年以上前のNT計測がはじめられた頃のデータ(1995年に発表された論文に基づいている)で、世界ではいま3mmを基準にしているところはありません。ところが、残念なことにこの古いデータが、『産婦人科診療ガイドライン 産科編2014(編集・監修 日本産科婦人科学会/日本産婦人科医会)』に示されているために、多くの産婦人科医がこれに基づいて説明している可能性があるのです。ガイドライン中に、以下のような記載があります。

正確に測定されたNT値の持つ意味については、以下のように説明する.(C)

・NT値が 3mm, 4mm, 5mm, および 6mm以上の場合、21トリソミー、18トリソミー、あるいは 13トリソミーの確率は当該患者の年齢別確率よりも、約 3倍, 18倍, 28倍, および 36倍高くなる(図2).

そして、理解の難しい図がつけられていて、この図を説明に用いている施設も少なからずあります。

この、◯倍という表現が、またわかりにくいし、心配を増幅させる表現になっていると私は感じます。冷静に考えれば、たとえば40歳の妊婦さんの場合、ダウン症候群の発生率は1/100 = 1%であり、これが3倍になったとして、3%ですので、97%は違うという話で、たとえば36倍になったとしても、100 - 36 = 63% で、6割強の人はダウン症候群ではないわけですが、街のカレー屋さんに行くと、辛さ3倍というカレーでもかなり辛く感じますので、28倍とか36倍とかいわれるとどれほどの辛さなのか、想像するだけで汗がわき出てきます。

数値でものごとを語る場合、それが直感的にどう感じられるかということは、十分に注意して扱う必要があると思います。世の中の情報、特に数字を用いた情報は、時に恣意的に勘違いを誘発してイメージを植え付けようという目的で使用されることがあります。医療の現場では、そういう目的はありませんが、普段数字を使い慣れていない人に対して説明する際には、説明内容や方法によっては、誤った印象をもたれてしまったり、人によって感じ方・捉え方に大きな違いがあることを意識して説明を行うべきでしょう。医師の多くは、そういう点に関しては、注意散漫になりがちではないかと思います。

胎児の頭臀長が、45mm〜84mmの時に計測する、NTの厚みは、胎児が発育するに従って増加します(正確に言うと、増加する一群と一定で変化しない一群とがある)。私たちは、英国のFetal Medicine Foundationのデータに基づいて、正常胎児の95%がその数値よりも薄い値を示すラインをひとつの基準(95パーセンタイル、胎児頭臀長とともに徐々に厚みが増す)としていますが、もうひとつ、99%のラインも基準になります(これは胎児頭臀長にかかわらず3.5mmで一定)。たとえば、この95パーセンタイルよりも厚みがあるけれども、3.5mmよりも薄いNTであれば、その胎児が染色体正常でかつ心疾患などの先天性の病気もない可能性は、93%です。

NTが3mm以上あると胎児には確実に病気があると考えてしまう方が多いようなのですが、単純に言うと、たとえばNTが3.4mmと指摘された場合でも、9割以上の赤ちゃんは何の問題もないのです。

もちろん、この場合7%の胎児は、なんらかの問題を抱えているので、胎児になんらかの先天性の病気がみつかる一般的な可能性(3〜4%)よりは高くなるわけですから、きちんと検査を受けていかれることは大事なことだと思いますが、ちょっとNTが厚いぐらいで、もう絶対に病気があると考える必要はまったくないのです。